かつて、文部省が特定研究を推進した際には、平均点は低くとも、一人でも「この研究は面白そうだ」とまともな理由で選考に当たる研究者が強く支持すれば、採択されることがあった。評価者にも見識と矜持はあったし、責任を負っていた。もちろん、でたらめな評価者もいた。特定の大学の申請書にすべて5点満点をつけた評価者もいたが、そのような人は翌年から消えていたような気がする。今は、明らかに申請書を読んでいないと考えられるような評価をしても、責任が問われることがない。

日本の将来には、責任を背負っていく覚悟のある人材の育成が不可欠だ。そして、医療AIの話に戻す。魚を捕獲し、米を収穫し、おいしい果物を生産しても、道路・鉄道を含め、流通のインフラがなければ、当然ながら社会には還元されることはない。多くの医師・研究者が頑張って有用な医療AIを開発しても、インフラが整備されていなければ、それが全国津々浦々で活用されることはない。

国の活力にするためには、いつでも、どこでも、誰でもが、簡便に、安価で最先端の技術を利用できるためのインフラの整備が必要だ。こんな常識的な議論がないのは、先進国でこの国だけだ。

編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2024年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。