白蔵主は、江戸時代に発表された多くの随筆や地誌などで語られる化け狐の妖怪である。稲荷伸として祀っている寺院もいくつか存在しており、また、その物語を元にした能狂言などもある。「はくそうず」または「はくぞうす」と読み、書籍などによって異なる。

 話のパターンにはいくつかの種類がある。『和泉名所図会』によると、和泉(現在の大阪府堺市)にある少林寺に伯蔵主(はくぞうす)という僧がいた。稲荷大明神を厚く信仰をしていた真面目な僧であり、ある時足を一本失った三足の白狐に竹林で出会い、大切に育てていた。伯蔵主には、漁をする甥がいたが、狐はこの甥を恐れて伯蔵主に化け、殺生の罪について語り戒めた。しかし、甥は狐が化けていると気づいて鼠の天ぷらで引き寄せて捕まえようとし、結果狐は逃げ出し姿を消してしまったという。

 また、記録によると1381年に、少林寺の耕雲庵の伯蔵主という僧が狂言『釣狐』を作り、それが演じられるようになったのちには、狂言や歌舞伎で演じる際に少林寺をお参りし、上演が成功するよう願うようになったということが伝えられている。

 また、このパターンに似たもので甲斐国(山梨)での白蔵主の話がある。甲斐の夢山の麓に弥作という狩人がおり、狐を捕らえて皮を売ることを生業としていた。 多くの子狐たち捕らえられてしまったことを恨んだ親狐は、弥作の伯父である宝塔寺の坊主・白蔵主に化け、弥作に対して殺生の罪を説き、弥作から罠を全て買い取った。

 狐を捕らないと生活がままならなかった弥作は、もう一度伯父のもとへ向かおうとするが、これを察した狐は本物の白蔵主を喰い殺して本人になりすまし、その後なんと50年にも渡って白蔵主のふりをした。だが、ある時、桜見物に足を運んだ際、犬に噛み殺されてしまったことで正体を現し、それ以来狐が坊主に化けること、あるいは狐に似た行ないをする坊主を指して「白蔵主」と呼ぶようになったという。

 他にも、『諸国里人談』には、またこれらとは異なる白蔵主にまつわる話が記載されている。江戸小石川伝通院(でんづういん)の正誉覚山上人が、京都から帰宅する途中に伯蔵という坊主に出遭った。伝通院に戻ってきてからその伯蔵は、法問内容を前日に語ったりするといった行ないで周りの同僚坊主たちを驚かせていたのだが、ある時寝ている際にうっかり狐の姿に戻ってしまったことを恥じて、そのまま行方をくらましたのだという。

 この話に登場した狐は、下総国飯沼にいたものであったとされ、同地にある弘教寺にも同じような伝説が残されていると言われている。伝通院近くには、沢蔵主(たくぞうす)稲荷として伯蔵主が現在も祀られているという。

 少林寺の逸話でもわかるように、白蔵主は白狐がモチーフとなってその名がつけられている。また、「伯」の字が使われるパターンがあるのも、「人」と「白」で人に化けることを暗示しており、また「伯父」というポジションが設けられていることにも関係しているのではないかと考えられるだろう。

 因みに、白蔵主をもとにした狂言においては、「悪いこととわかっていながら悪の道に入ることは、”畜生”と同様の振る舞いである」という戒めを込められているという。

坊主に化けて殺生の罪を説く妖狐『白蔵主』の伝説
(画像=『和泉名所図会 巻之一』より竹原春朝斎画「白蔵主」 Shunchōsai Takehara – =National Diet Library Digital Collections, CC0, リンクによる、『TOCANA』より 引用)

 狐は化けて人間を欺く厄介な妖怪として捉えられる一方で、稲荷伸の眷属という形で知られているように農耕を守護する神聖な隷従として信仰される側面もある。そうした意味では、イタチや狸などの他の変化する動物に比べて人間とのかかわり合いが特に強い存在であるといえる。

 白蔵主のストーリーでは、いずれの狐も仏門での学問に努めたり、殺生の罪を説いたりといった形で描かれている。そうした意味では、人間の営みに垣間見える業の深さを投影する存在として狐があり、ある種の皮肉が込められたものが白蔵主として形成されていったのかもしれない。

文=ZENMAI(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

提供元・TOCANA

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