現在の教育の現場では体罰はほとんど行われておらず、行った場合は教師に厳しい処分が下ります。
しかしかつての教育の現場では激しい体罰が行われていました。
果たして昔の学校では、どのような体罰が行われていたのでしょうか?
本記事ではかつてのイギリスの学校にて行われていた体罰について取り上げつつ、それらが親たちにどうとらえられたいたのかについて紹介していきます。
なおこの研究は、東京大学大学院教育学研究科紀要40巻p1-15に詳細が書かれています。
目次
- 教師が子供を鞭で打っていたかつてのヨーロッパ
- 反対運動も、最後の手段としては否定せず
教師が子供を鞭で打っていたかつてのヨーロッパ
体罰は現在こそ先進国ではほとんど見られなくなりましたが、かつてのヨーロッパでは盛んにおこなわれていました。
例えば6世紀の聖ベネディクトゥスの定めた 『戒律 (Regula)』 (ベネディクトゥス修道会規則)には、
《児童の矯正の仕方について》
(1)修道士は皆,その年齢と理解力に応じた処遇を受けるべきである。 (2)そこで児童あるいは年少の者、あるいは破門の罰がどれほどに重いものかを理解できない者が過ちを犯した場合、(3) 彼らを矯正さ せるために厳しい断食に服せしめ、あるいは厳しい鞭の罰を加えなければならない。
という章があり、修道院の教育では子どもが悪事を働いた場合、鞭打ちや食事抜きといった罰を与えていたことがわかります。
また体罰が行われていたのは何も修道院の教育だけではなく、その他の子供の教育でも日常的に行われており、鞭を持った教師というのはごく一般的な存在でした。
このような体罰は中世が終わっても続いており、16世紀のイギリスの学校では日常的に鞭打ちが行われていたといいます。
また1712年に発行された法律書でも「親が彼の子どもを、主人が召使いを、学校教師が生徒を、看守が囚人を、夫が妻を、理性的方法で懲罰する場合、暴行罪にとわれない」と書かれており、当時の社会規範でも子供に体罰を行うことは暴力とは捉えれず容認されていたことがうかがえます。
なお王子や若い国王が悪さをした場合、教師といえども王族を折檻することは出来なかったため、代わりにウィピング・ボーイという学友が体罰を受けることになりました。
この制度の実在を裏付ける証拠は乏しいものの、高貴な生徒が他の生徒よりも罰を受けることが少なかったという主張もあり、それに近い制度はあったのではないかと言われています。