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ホンダから王座を獲得したスズキ…1970年代にもあった!
名車スバル360より早かった「スズライト」と後継のフロンテ

ホンダから王座を獲得したスズキ…1970年代にもあった!

1970年代にもホンダからスズキへの王座獲得劇はあった!4代目スズキ フロンテまでに至る道と、その後の苦境は繰り返されるのか?【推し車】
(画像=軽トラ以外の軽自動車から一時撤退したホンダから王者を「獲得」したものの、軽自動車業界の冷え込みや各種規制対策、規格改正と高コスト化にあえいでいた時期の4代目フロンテ550cc版「フロンテ7-S」,『MOBY』より 引用)

2024年5月、スペーシアが軽自動車販売No.1の座をホンダ N-BOXから奪還して話題となったスズキですが、小型車にも力を入れるまでは軽自動車No.1メーカーであり、1970年代、一時的に軽乗用車から手を引いたホンダからその座を受け継いで以来の絶対王者でした。

過去にMOBYが「推し車」として紹介した中でも、”スズキが「不戦勝」的なタナボタで軽自動車No.1メーカーに…4代目 フロンテ【推し車】”として、その頃の主力車種だった4代目スズキ フロンテを紹介しています。

今回はそうした過去の推し車の中でも好評だった記事をセルフリメイクする【MOBY推し車リバイバル】として、4代目に至るまでのを含めたスズキ フロンテを紹介しましょう。

名車スバル360より早かった「スズライト」と後継のフロンテ

1970年代にもホンダからスズキへの王座獲得劇はあった!4代目スズキ フロンテまでに至る道と、その後の苦境は繰り返されるのか?【推し車】
(画像=初代フロンテ(スズライトフロンテFEA) ©MOBY、『MOBY』より 引用)

現在も残る日本の主要自動車メーカーは、戦前からの名門組と戦後参入組にザックリ分かれますが、スズキは戦前から試作もしていたとはいえ、実際の参入は1950年代に入ってから。

しかも1952年に自転車用補助エンジン「パワーフリー」で参入するや1954年には初のオートバイ「コレダCO」で二輪車へ、1955年には「スズライト」(初代)で四輪車へ参入、現れたかと思えばすぐに消える事も多い後発組の中でも、その早業は際立っていました。

しかしあまりに参入を急いだためか工作機械もロクに揃っておらず、初期のスズライトなど意欲的なFF車(前輪駆動車)と思いきや、コピー元のロイトLP400(西ドイツ)がFFで、工作機械の都合上FR車(フロントエンジン・後輪駆動車)が作れなかったから。

しかも最初はプレス機などないので板金工がトンテンカンと叩いた鋼板を組み合わせるハンドメイド生産、部品の品質もイマイチなため、テスト走行でフロントタイヤがモゲて追い越していくなど、今聞くと「日本製も昔はそんなもんで通用した」というクルマでした。

それでもスバル360(1958年)より早く軽自動車を量産し、セダン、バン、ピックアップトラックとラインナップしては、税制上有利なバンに絞って少しずつ拡販していくという、なかなか手堅い手法で成長していったのです。

やがて、当初はブリキのオモチャのようだったスズライトは、どことなくイギリスの(旧)ミニと似たクルマへ発展していき、1962年には2代目スズライトの乗用車版が「スズライトフロンテ」を名乗り、これが初代フロンテとなりました。