政治
2024/10/30
古代における皇位継承に謎などない
また、応神天皇は騎馬民族とかいう人がいるが、継体天皇の即位の時、別候補だったのが、応神天皇の父・仲哀天皇の子孫である倭彦命だったことは、当時の人が仲哀天皇と応神天皇のあいだに断絶があると思っていなかったことを意味する。そして、大化の改新までは、だいたい30歳くらいになってから即位し、終身在位だった。だから、推古天皇が長生きしすぎたので聖徳太子の世代は飛ばされてしまった。兄弟でたらい回しすることもあった。
7世紀の推古天皇からは、女帝も現れた。それ以前に、神功皇太后が実質上の女帝として君臨したりしたようだが、いわば、零細企業の社長が亡くなって未亡人が女将さんとして経営に当たっていたようなものである。それが、文字が普及したので推古天皇からは、社長さんと呼ぶようになったようなものだろう。
また、皇極天皇からは生前退位が常態化し、若年の天皇も多くなったが、これは壬申の乱が天武天皇と持統天皇という夫婦と、持統の甥の大友皇子の戦いだったために、天武の子であるだけなく、持統の子孫であることが求められたためだ。
そして、やがて幼児の天皇まで出現し、天皇の親政は成り立たなくなり、政治の実権は母后やその実家から出る摂政・関白、天皇の父や祖父である上皇、ついで武士に移った。
2024年9月2日公開記事
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