ペドロ・サンチェス首相

誰が判断してもサンチェス氏は最悪の首相

スペインのフランコ独裁政治を終えたあと1976年からスペインは民主化への道を歩み始めた。これまで7人の首相が誕生している。その中で現首相のペドロ・サンチェス首相は誰が判断しても最悪の首相という位置づけをすることは間違いないであろう。勿論、最悪というレベルも左派と右派ではその度合いは異なる。それでも、サンチェス氏が首相として最悪という結論には誰も異論はないはずである。

その理由は、彼にはステーツマンという意識に欠け、長く首相でいたいという私欲の為に国を二分する政治も厭わないという人物だからである。しかも、言ったことをそのあと180度覆すことも平気だ。例えば、政権を樹立させるのに「極左政党ポデーモスとは絶対に連立政権を組まない」と言っていた。その後、ポデーモスと連立政権を誕生させた。「恩赦法は憲法違反である」と言っておきながら、時が経過するとそれを下院で成立させた。このように、当初の発言を覆えすことは彼にとって些かの躊躇いもないのである。

国を二分することを厭わない具体例として、そのひとつを4月21日に実施されたバスク州議会選挙で見ることができる。スペインの民主化が始まる以前からバスク州には独立を名目に掲げたテロ組織エタ(ETA)が存在していた。エタは800人余りを暗殺したテロ組織で2017年に解散した。ところが、彼らの意向を汲んだ政党ビルドゥ(BILDU)が誕生した。即ち、暗殺集団が政治政党に変身したのである。

今回のバスク州議会選挙では議席数においてこれまでバスク政治を担って来たバスク民族主義党(PNV)の議席数と同じ27議席をビルドゥが獲得したのである。

ビルドゥが議席を伸ばした主因には2つある。そのひとつはサンチェス首相が首相のポストを継続するために下院で過半数の支持票を得るべくビルドゥの6議席を味方につけたことである。勿論、ビルドゥが首班指名でサンチェス氏を支持するのに交換条件があった。それはナバラ州のパンプロナ市の市長のポストをビルドゥの議員に譲ることであった。

それ以外にもまだあるが、それはベールに包まれている。もうひとつは、テロ組織エタが暗殺集団として活動していた時代のことは白紙化する方向にサンチェス首相を向かわせたことである。

サンチェス首相の政党社会労働党の議員もバスク州ではテロリストの標的にされていた。同党で彼らに暗殺された議員もいる。エタのテロ活動の最盛期には議員らを護衛するボディーガードが警官を含め3000人いた。

サンチェス首相は自ら首相でいる為に自党の議員にもビルドゥの過去の事は忘れさせて首班指名で党首の彼を支持させたのである。