彼女によれば、政治指導者は、核兵器の拡散が国際システムを不安定化したり、抑止不能な核武装した敵国を台頭させたりすると恐れる、「核の悲観主義(nuclear pessimism)」 の信念を持つと、敵国の核武装を防ぐために軍事攻撃を行うか、少なくとも、そのようなオプションの実行を真剣に検討するということです。
この仮説を検証するために彼女が取り上げた事例は、中国の核兵器開発計画に対するケネディ大統領とジョンソン大統領の対応、北朝鮮の核開発計画に直面したブッシュ(父)大統領、クリントン大統領とブッシュ(子)大統領の核拡散防止をめぐる政策決定、イスラエルの歴代首相によるイラク、シリア、パキスタンの核武装化に対する予防攻撃の意思決定過程です。
核兵器開発計画が引き起こした予防戦争の事例核拡散について悲観的な信念を持っていたケネディ大統領は、中国が核兵器の保有に向かうことを深く憂慮して、その関連施設を破壊する軍事介入をかなり真剣に検討しました。しかしながら、その選択肢が実行されなかったのは、彼が大統領の任期の途中で暗殺されてしまい、後任のジョンソン大統領が中国の核武装をアメリカへの直接的な脅威とはみなさなかったからだと本書は論じています。
イラクの核開発計画については、「核の楽観主義者(nuclear optimist)」だったブッシュ(父)大統領は、同国がクウェートに侵攻して国際秩序を脅かしたことに付随して懸念した程度であった一方で、クリントン大統領は核の悲観主義者であるがゆえに、イラクの大量破壊兵器関連施設に対する「砂漠の狐」作戦を実行したのみならず、北朝鮮の核兵器開発を阻止する外科手術的な予防攻撃も発動する寸前でした。
後者が実行されなかったのは、カーター元大統領が電撃的に平壌を訪問して金日成国家主席と会談した結果、金氏が国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れる意思を示したことをきっかけとして、同国の核開発を凍結する「枠組み合意」が成立したからだということです。要するに、これで北朝鮮への核拡散を防ぐことができる目途が立ったので、軍事介入は不要になったということです。
その後、ブッシュ(子)大統領は北朝鮮が密かに核兵器を開発していたことを知りましたが、2003年から始まったイラク戦争の泥沼化により、軍事オプションによる阻止を試みる余裕を持てなかったようです。
そのイラク戦争は、ブッシュ(子)大統領がサダム・フセイン政権の核保有を阻止するために行ったものでした。彼は父とは違い、核拡散の悲観主義者でした。そして9.11テロ事件は、イラクの核兵器がテロリストにわたり、それがアメリカの安全保障を脅かすことへの恐怖を増幅させました。
テロリストと結びついた核兵器を持つサダムは、封じ込めることも抑止することもできないという判断が、ブッシュ政権をイラクに対する予防戦争へと駆り立てたのです。
本書では、さらにイスラエルのベギン政権とオルメルト政権が、それぞれイラクとシリアの原子炉を破壊する軍事作戦を決定して実行する過程も克明に分析されています。くわえて、ベギン政権はパキスタンの核武装を阻止する共同軍事行動をインドに打診しましたが、不首尾に終わりました。これはあまり知られていない事実でしょう。
なお、イスラエルがパキスタンの核武装を恐れたのは、主要な直接の敵国だからということではなく、イスラマバードの核兵器が、敵対するイスラム国家に渡るのを恐れてのことでした。
その一方で、ラビン政権のイスラエルは、イラクの核関連施設を大胆に攻撃するより国防軍を強化することによる抑止を選好しました。なぜならば、ラビン首相は核拡散に対して、それほど悲観的ではなかったからだというのが、ウィットラーク氏の結論です。