1985年8月12日、群馬県の御巣鷹の尾根に日本航空123便が墜落するという、通称「日航機墜落事故」が発生した。日本の民間航空史上かつ単独機として世界最悪の航空事故として現在も語られており、その事故の原因等については不可解な点が多いとして、今でも多くの疑問と陰謀論が囁かれ、また数々の作品に断罪として取り上げられている。

 東京国際空港から大阪国際空港に向けての定期便であったこの日航機123便は、歌手の坂本九が搭乗し犠牲になるなど、著名人の犠牲者もあった。その一方で、元々はこの時の日航機123便に搭乗する予定だったが、何らかの事情で搭乗することなく難を逃れたという著名人も少なくない。

 明石家さんまは、当時テレビ番組「オレたちひょうきん族!」の収録後に大阪のラジオ番組『MBSヤングタウン』の出演が入っており、その移動のために123便へ搭乗予定であったが、東京での収録が早めに終了したために1本速い便に乗り換えていたという。

 稲川淳二は、当日の123便に搭乗する直前での番組『稲川淳二のためになる話』の収録にて急な体調不良にみまわれ、123便をキャンセルし、翌日朝一の新幹線移動に変更をしたそうだ。また、家族と共に実家へ帰省する予定であった逸見政孝は、123便に予約を入れたところ満席状態で取れず、新幹線の方が安いという長男の助言によって変更したことで難を逃れた。

 これら墜落事故を免れた著名人の中でも、忘れてはならないのは笑点メンバーだ。司会の五代目三遊亭圓楽、三遊亭小遊三、林家木久蔵、桂歌丸、三遊亭楽太郎(のちの六代目三遊亭円楽)、林家こん平、古今亭朝次(のち桂才賀)、そして座布団運びの山田隆夫は、翌日に控えた阿波踊りに参加するために羽田発の飛行機で徳島入りをする予定であったが、この時徳島空港が荒天だったために飛行機が条件付き運行、現状飛び立つ目途がたたない状況となっていた。

 その際、早く現地へ行かなければと焦っていたメンバーたちから、徳島行きの飛行機をキャンセルし、その1本あとの日航機123便に搭乗し大阪へ、その後神戸に移動しフェリーで徳島へ入るのはどうかという案が出されたというのだ。しかし、これに待ったとかけた人物がいた。林家こん平であった。

 彼は、「予約していた(徳島行きの)便でゆっくり行こうよ」とメンバーに切り出し、それによって笑点メンバーたちは123便に搭乗することなく、予定通り徳島行きの飛行機に乗り込み現地入りすることとなった。彼らが事故のことを知ったのは、宿泊先のホテルへ移動しているタクシーの中だったという。このエピソードは、2013年6月28日付の毎日新聞夕刊にて、インタビュー記事の中で山田隆夫が語ったことで初めて公になったとされている。当時、桂歌丸と並び笑点の初回放送以来、休止もなく長きに渡って出演していた林家こん平。彼のこの一言が無ければ、現在の笑点も無かっただろう。

 だが、忘れてはいけない。この時同行予定であった広告代理店の方数名が123便に搭乗、また先の稲川淳二が直前に出演していた番組で手伝いをしていた人物が直後の123便に搭乗し命を落とす結果にもなっていた。いずれも、関係者が犠牲になった傷ましい事実が刻まれる結果となっている。

 犠牲を免れた著名人を思い返すと同時に、そうした多くの犠牲者のことも決して風化させてはいけない事故である。

文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

提供元・TOCANA

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