この短い話を読んで、真夏のローマで白い雪が降る風景を頭の中で想像してみた。連日30度を超える真夏の日々が続く「永遠の街」ローマを旅行者も市民も汗を流しながら歩いている。そのローマで紀元352年、雪が降ってきたというのだ。人々は当時、驚いただろうし、「真夏の雪」を神からの何らかのお告げと受け取っただろう。

現代人は「真夏の雪」に遭遇すれば、昔の人々と同様、暫くはビックリするが、直ぐ自然現象として解釈を始めるだろう。なぜならば、全ては説明可能であり、人間の英知で理解できると考えているからだ。最近では、数センチの大きさのあられが突然降り出し、家屋が壊れ、車のボンネットに多くの痕跡を残すといったことがあった。だから、8月5日の「真夏の雪」も異常気象のなせる業と納得し、「真夏の雪」の話は直ぐに忘れ去られていく。

いずれにしても、21世紀の今日、多くの人々はちょっとやそっとでは驚かず、ましてや神のお告げと受け取ることはない。その意味で、神は自身のメッセージを配信するのにも苦労がいるわけだ。

バチカンには多くの奇跡の話が伝えられているし、聖母マリアの再現は世界各地で報告されている。バチカンはそれらの奇跡をもはや即奇跡とは考えず、「聖母マリア再現調査委員会」などを設置して、奇跡の真偽を調査するようになった。神を信じるバチカンですら奇跡を安易には信じなくなってきているのだ(「聖母マリアはなぜ頻繁に出現するか」2023年8月19日参考)。

そのような時代、「真夏の雪」と大聖堂献堂の伝説は素朴だが、何か心を打つものがある。雪が余りにも白いからだろうか、それとも私たちは奇跡に飢えてきているのだろうか。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年8月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。