部屋全体が宝石で飾られた豪華絢爛な「琥珀の間」はどこに消えたのか――。第二次世界大戦中にナチスによって強奪された部屋の貴重な装飾の数々が未だに発見されていないのだ。

■豪華絢爛な「琥珀の間」はどこに消えたのか

 18世紀初頭にロシア帝国サンクトペテルブルク近郊のエカテリーナ宮殿内に作られた「琥珀の間」はバロック芸術の傑作で、6トン以上もの琥珀と金銀財宝を使って豪華絢爛に飾られ、後に「世界で8番目の不思議」と呼ばれた。

 200年以上にわたりこの琥珀の間はエカテリーナ宮殿を飾りロシア帝国の富を象徴していたが、第二次世界大戦が勃発して1941年にドイツ軍がレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に向けて進軍すると、この貴重な財宝はナチスの略奪の対象となった。

“世界で8番目の不思議” 豪華絢爛な「琥珀の間」はどこに消えたのか・・・
(画像=琥珀の間(1917年) 画像は「Wikimedia Commons」より,『TOCANA』より 引用)

 1941年の寒い冬の夜、ナチスの兵士たちがエカテリーナ宮殿の大広間に侵入し、わずか36時間で琥珀の間を解体して財宝類を運び出した。

 財宝は東プロイセン(現在のロシア・カリーニングラード)のケーニヒスベルク城に運ばれて展示されていたが、ナチス・ドイツの劣勢が色濃くなっていた1944年、連合軍の爆撃がこの地を襲い、終戦までの最後の数カ月の混乱の中で琥珀の間の財宝は消えてしまったのだ。

 市街地への爆撃で破壊されたとする説もあれば、撤退するドイツ軍によって隠匿されたとする説もある。決定的な証拠がないため、今もさまざまな説が飛び交っている。

 ロシア国立公文書館の機密解除された文書では、琥珀の間は城への爆撃の被害によって大部分が破壊された可能性が高いと結論付けられており、琥珀の間のモザイク装飾4点のうち3点が城の地下室で損傷して焼けた状態で発見されたことも記載されている。

 別の説では、琥珀の間はドイツの秘密の地下壕か鉱山に隠されたと説明している。この説はナチスが戦時中に略奪した美術品の保管場所がいくつか発見されたことで裏付けられ、実際にオーストリアのアルタウゼー塩鉱山で盗まれた美術品が回収されているのだが、こうした場所を徹底的に捜索しても、琥珀の間の財宝はまだ見つかっていない。

 一部の研究者は、琥珀の間は戦争の最終段階でナチス・ドイツの客船「ヴィルヘルム・グストロフ号」に積み込まれたが、その後のソ連の潜水艦の魚雷攻撃で客船と共に失われたと推測している。戦後にダイバーが沈没船を調査しているが、琥珀の間に関係した物品は見つかっていない。

 近年では、ロシア当局がすでに琥珀の間の一部を回収し、政治的な理由で隠しているのではないかという“陰謀論”も語られているが話を裏付ける証拠はない。

 2017年、ポーランドのダイバーチームが琥珀の間があるかもしれない沈没したドイツ船を発見したと発表したが、その後の調査では関連する証拠は得られなかった。

 2020年には、新たに発見された文書に基づいてドイツの洞窟群で新たな捜索が開始されたが、やはり琥珀の間に関係するようなものは何も見つからなかった。

 2003年に復元された琥珀の間だが、そのオリジナルの財宝は本当に失われてしまったのだろうか。トレジャーハンターたちにはまだまだ魅力的であると思われるこの「世界で8番目の不思議」は、今後も折に触れて話題にのぼりそうである。

文=仲田しんじ

提供元・TOCANA

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