身勝手の王様と言えば中国を差し置いて他にはないと思います。公海は中国のものという発想の根源が何処から来るのでしょうか?多分、中華思想に基づく中国を中心とした無限の広がりというロジックだと思いますが、もちろん、そんな発想は他国と相いれません。ですが、習近平氏は気にしないのです。自分が正しいと。それは冒頭のロシアの論理とも一致します。
今日のタイトルを「新 バラバラになる世界」とさせて頂いたのは、実は2016年5月16日に「バラバラになる世界」というタイトルでブログが書いてあるのです。しかも7年8か月前に述べた状態からより深化こそすれどベクトルとしては全く変わっていないのです。
その時のポイントは判断が国家から国民に移ってきたということでした。SNSの広がりにより瞬時に情報が伝わり、国民がそれなりに声を上げるようになったと考えたわけです。英国のEUからの離脱や古いですが、北アフリカの春もその動きでした。今回のアメリカの大統領選挙も国民の声のぶつかり合いという色合いも強く出ています。
それから8年近い歳月がたって見えたのは大国が振りかざす自国の論理です。これは非常に不都合な問題です。国連の機能の問題が取り沙汰されますが、私は今や国際法が何であるか、世界共通の概念とルールすらなくなりつつあるように思えます。また自己ルールは時として大国のみならず、北朝鮮やミャンマーという比較的小国でも起きています。
これを解決する方法はあるのでしょうか?究極的には世界にいろいろある政治制度を全ての人類が自由に選択できるようになれば嫌な国に留まらない自由は生まれます。が、もちろん、こんなのは机上の空論にもなりません。なぜなら国家と民は一心同体であり、国民無き国家という概念は成立しないからです。
私には解決策は浮かびません。できることは少なくとも人々が置かれている環境を理解し、どうあるべきか考え、各自が対策を打ち出すことになりそうな気がします。かつてはストライキやデモという大衆行動もありましたが、私にはそれも20世紀までの抗議の仕方にしか見えないのです。そもそも大衆行動は社会が成熟し、情報化が進めば一体感が作りにくくなるわけでルールの制定者には好都合であります。歴史を紐解けば農民一揆などは年貢の納め方に対する農民の抵抗でした。今では文句こそ言えど、そのようなカラダを張った抵抗はしないですよね。
バラバラになる世界、それは世界の関係がそれだけ複雑になったともいえるのでしょう。そしてシンプルな世界に戻ることもないのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月15日の記事より転載させていただきました。
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