お歯黒べったりは、お歯黒で真っ黒になった口をした妖怪である。1841年に刊行された妖怪画集『絵本百物語』にその記載と挿絵を見ることができ、姿は角隠しをつけた女性であり、その顔は目鼻が無くお歯黒をべったりと塗った口だけが残っている不気味な妖怪だ。
ある人が神社の前を通りかかると、美しい着物もしくは花嫁衣装をした女性がいた。どうやら顔を伏せて泣いてるように見える。どうしたのだろうと声を掛け振り向いたその女性は、お歯黒をべったりと塗った口でゲラゲラと笑っていたのだという。一種の人を驚かす「のっぺらぼう」系の妖怪であるとされており、狐狸の化け損ないとも言われている。
そもそも、歯を黒く塗るお歯黒とは、日本に古くから存在する風習であった。平安時代の宮中では、成人すると男女を問わず歯を黒く染めていたと言われており、江戸時代には既婚女性や遊女の化粧として定着していた。現代では、このお歯黒で使用される「鉄漿水」(かねみず)と呼ばれる材質が虫歯予防にも繋がっているということもわかっているが、それ以上にいわば美の表現法の一つとして活用されたことは事実である。
この江戸時代に既婚者がする化粧という点から、お歯黒べったりは結婚直前で亡くなった女性、あるいは結婚が生涯叶わなかった女性の未練の思いや怨念が具現化された妖怪であるとも考えられている。お歯黒べったりが、目鼻を無くしてお歯黒を施した口のみ強調させ、さらに美しい着物や花嫁衣装をまとっているのは、姿だけでも結婚を果たした女性のように見せる精一杯の願望の表れであったのかもしれない。
しかし、妖怪となっていく中でお歯黒べったりは、声を掛けてきた人を驚かす存在と化していった。先にのっぺらぼうタイプの妖怪と触れたものの、のっぺらぼう系妖怪は一度それに遭遇してから他者に事情を説明する際に「それはこんな顔だったか?」と再び驚かされるという一種のパターンがある。「再度の怪」と呼ばれる形式であるが、お歯黒べったりにはそうした傾向は特に見られないのも特徴だ。
お歯黒べったりを心霊と見た場合、霊は生前の記憶でその存在が保たれているという解釈があり、新たな情報が更新されることなく徐々に弱い記憶から消えて行くと言われている。円山応挙が生み出した「足の無い幽霊」のイメージはいまだに根強いが、一説によれば人間が自身の体で真っ先に忘れるのは自分の顔であると言われている。それは、目線を下ろせば自分の体は見ることができるものの、鏡にも映らない自分の顔の形状はどんどんと記憶から失われていくというわけだ。幽霊の目撃談で目口が空洞のように真っ黒になっているのは、幽霊自信が自身の目口の記憶を失いつつありそれが見た目で現れているからだと言われている。
そう考えると、お歯黒べったりがそもそも未婚女性の怨念であるとの解釈にも辻褄が合うように思えてくる。そもそも前述の解釈からすると、記憶から薄れて真っ黒の空洞となった口がお歯黒をした口に喩えられたと見ることすらできる。振り向いて人を驚かせる、どこか不気味でひょうきんとも思えるお歯黒べったりは、実のところ非常に悲しい思いを抱いた存在であるのかもしれない。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
提供元・TOCANA
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