陸奥宗光は、幕末維新の志士および明治の政治家として活躍した人物である。勝海舟や坂本龍馬など多くの人物と交流を持ち、江戸時代に結ばれた不平等条約の撤廃や、下関条約の締結などの偉業を達成した。非常に頭が切れるということから「カミソリ大臣」と呼ばれ、また自身が認めた者でなければ上司といえども命令を無視したり辞表を叩きつけたりしたという逸話も残っているという。
その陸奥の夫人である陸奥亮子は、非常に美人であったことで知られている。その美貌ぶりは、結婚後に初めて社交界デビューをした際に「鹿鳴館の華」と呼ばれるほどであり、さらに陸奥が駐米公使となって渡米した際にも「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」などと呼ばれたことから、いかに彼女の美貌が桁違いであったかがお解りだろう。イギリスの外交官であったアーネスト・サトウに、日本人女性で唯一容姿を褒められたとも言われている。
彼女は、もともと新橋で芸者をしており、その当時から新橋でも一、二を争うほどその美しさが評判であったという。この頃に出会った陸奥に見初められたことで、二人は結婚することになったようだ。因みに、この時陸奥は蓮子という前妻と死別していた頃であり、その三ヶ月後というスピード再婚であった。
1878(明治11)年のこと、政府転覆活動に加担した罪により投獄されていた陸奥は、宮城牢獄から亮子宛に何通も手紙を送っていたという。陸奥の友人夫婦のもとに身を寄せていた彼女にとって、夫からの手紙は大きな支えになっていたことには違いないが、一方の陸奥にとっては、美しい亮子が別の男のもとへ行ってしまうのではないかという恐れがあったとも言われている。
実のところ、陸奥は無類の女好きであったと言われている。彼自身顔立ちも良かったことや巧みな話術も持ち合わせていたことでモテていたようであり、別の女性の家に入り浸っていたこともあったと言われている。
また、前述した投獄の話には続きがある。刑期を終えて再び夫婦生活を始めた彼らのもとに、ある女性が現れ「私のことを好きだと言ったのは嘘だったのですか」と話し始めたという。その女性、実は獄中で洗濯女を勤めていた人物であり、なんと収監中の陸奥が彼女に手を出し浮気をしていたというのである。
陸奥の女癖の悪さは亮子も終生頭を悩ませたようであり、さらには陸奥の死後に芸者との隠し子が発覚するという事態も起こった。だが、彼女はその隠し子を引き取って育てたという。
政府の要職に就いた夫を支えるために英語、文学、歴史、ファッションなどを懸命に猛勉強した彼女の存在が、陸奥の出世や活躍に大きな影響を与えていたことは確かであろう。夫のスキャンダルに屈せず、支え続けてきたという努力は並のことではない。しかし、もともと体が強い方ではなかったことが災いしたのか、陸奥が亡くなったわずか3年後に、45歳という若さでこの世を去った。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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