忘れられていた鴨下家を、処理水放出反対運動が表舞台に引っ張り出した。彼らの語りからある老人の逸話が消え、レジ袋で鼻血を受けて歩く子の逸話へ収斂していったのは、悲劇の原発避難民に求められたものの変化を象徴している。

悲劇の原発避難民であるのを強調し正当化しなければならなかった、鴨下家の事情と背景。悲劇の原発避難民を必要とした、反原発運動と報道。これらを整理しよう。

処理水放出の以前と以後

鴨下全生氏のX/Twitterアカウントが、いわゆる「レジ袋鼻血」以降2カ月も騒動の渦中にありながら強力な味方が現れないだけでなく、フォロワーも目を見張る増え方をしていないと多くの人から指摘されている。

そればかりか鴨下家と蜜月状態にあったレイバーネットさえ、同家について触れたのは昨年2023年7月までで、本年10月7日に判決が出る官舎立ち退き訴訟について傍聴を呼びかける記事さえ掲載していない。

このほか、2022年1月に父の祐也氏が献金し、同年7月に母の美和氏が参議院選応援メッセージを寄せたれいわ新選組も、2023年9月30日に同党台東区議会議員のふうさわ純子氏が、選挙ドットコムで全生氏が登壇するイベントの開催を伝えたくらいで目立った動きを見せていない。

祐也氏が国家公務員宿舎からの退去や家賃相当損害金約186万円の支払いを求められ提訴されたのは、2022年2月8日だった。こうした事情があったうえで鴨下家はれいわ新選組へ接近したのだろうし、レイバーネットは2023年8月24日の第1回処理水放出を見据えて同家を盛んに取り上げたのではないかと思われる。だが両者は、処理水の放出を期に冷淡ともいえるほど鴨下家と距離を置くようになった。

マスメディアはと言えば、2014年に朝日新聞とNHKが大々的に鴨下家を取り上げたものの、週刊文春平成26年10月16日号(2014年)に『朝日とNHKが報道 悲劇の原発避難民は東京の資産家だった』と報じられると、鴨下家と距離を置いた。