世界各地の遺跡から手や足の指が6本ある彫刻や彫像が発見されている。多指症の割合からすれば不自然なほどに多いといえるこれらの歴史的遺物をどう考えればよいのだろうか。
■6本指の人物は古代社会で尊敬されていた?
米ニューメキシコ州、チャコ・キャニオンの遺跡から出土した遺構からは家屋の壁に6本指の手や足の装飾があることが知られている。この地に暮らしていた古代プエブロ族では6本指の人物がより重要視されていたのではないかと、ニューメキシコ大学の人類学者、パトリシア・クラウン氏らが指摘している。
研究者たちは、遺跡の大邸宅の壁や床からいくつかの手形や足跡を発見したのだが、それらはすべて6本指であった。さらに、6本指の足で履くようにデザインされたサンダルの存在まで確認されたのだ。こうしたことから6本指の足跡や手形は、社会の中で尊ばれてきた要素であり、儀式的な意味を持っていた可能性があるという。
「生物学、芸術、建築、空間分布など様々な見識を応用して、かなりの量の証拠が見出されました」と北アリゾナ大学の人類学者であるケリー・ヘイズ・ギルピンは語っている。
また考古学者のリチャード・バーネット氏によると、多指症はエジプト、マルタ、ヨルダン、イランを含む各地に残された古代の芸術・文学に登場し、「神聖な、または英雄的な表現として最も頻繁に用いられた」という。故人の石棺のデザインなど、人々の日常生活にも6本指の表現が根付いていたことを指摘している。
実際のところ古代文明で多指症はどのように考えられていたのか。失われた古代文明の人々は6本指が標準であったという説や、神や天使の子孫であるという説など、さまざまな仮説と憶測も生み出されている。
この問題を考察した海外オルタナティブメディアの記事では、多指症は遺伝形質として受け継がれる傾向があるため、古代文明においてそのような遺伝的特徴を持つグループが存在していた可能性を指摘している。古代遺跡や聖書をはじめとする文献や芸術作品において表現されている多指症は、ある種の“神話的な思い出”であるというのである。
もちろん6本の指を示す表現は、アーティストによる創作や誤謬である可能性も残されるものの、表現方法にはそれぞれの文化で一定のパターンがあるため、それぞれの時代で実際に6本の指を持っている人物(あるいは存在)を意図的かつ神話的に描写していたと考えるほうが自然である。
前述のグレッグ氏によれば、多数の古代遺跡で見つかっている6本指の表現は、人類の文明の初期段階から、6本指の人々(あるいは存在)が何らかの理由で崇拝されていたことを示唆しているという。