かつての大衆演芸で大人気だった“人間の言葉を話す犬”がいたという――。その名も「しゃべる犬のドン」だ。
■ボードビルを席巻した「しゃべる犬のドン」
ボードビル(vaudeville)とは、17世紀末にパリの大市に出現した演劇形式であるが、20世紀初頭にはヨーロッパ全土のみならず北米でも高い人気を博す娯楽となった。
ショーはバラエティに富んでいて、あらゆる種類の寸劇、音楽パフォーマンス、ダンスショー、コント、タレントショーなどが含まれていた。見世物小屋、サーカス、コンサートなどに出演するのはミュージシャン、歌手、ダンサー、コメディアン、訓練された動物、魔術師、腹話術師、怪力の持ち主、女性と男性のなりすまし、フリークス、曲芸師、ピエロなど多岐に及び、人々を飽きさせることなく魅了していた。
この時代の長きにわたってボードビルは最も人気のあるタイプの娯楽であったのだ。
多彩なパフォーマーたちのショーに加えて、動物ショーもまたきわめて人気があり、すべてのカルチャーや年齢を越えてファンを獲得し喜ばせていた。訓練されたネズミからアシカ、サル、馬までもが出演していたが、その中でも犬は常に最も人気のある“演者”であった。
“読心術犬のウノ”や、“酔いどれ犬のダン”など人気の犬たちが登場して観衆を賑わせたのだが、その中でおそらく最も有名なのは“しゃべる犬のドン”であった。
1905年にドイツのテアーヒュッテで生まれたドンは、ダークブラウンの毛並みのセッターであったが、飼い主はこの犬が人間と会話ができることを知り、非常に驚いたという。
飼い主によるとドンはドイツ語の6つの単語の意味がわかっていて、単語を組み合わせて人間に要求したりコミュニケーションを図ることができるという。
1910年11月20日のニューヨーク・タイムズでドンについて書かれた記事によれば、ドンの噂を聞きつけた新聞記者などがテアーヒュッテの街に続々と押し寄せたそうだ。
飼い主によると、ドンは1905年に何の訓練も受けずにしゃべり始めたという。ある日、家族が食事をしているテーブルにドンがゆっくり歩いてきたので、主人が「何か欲しいのかい?」と尋ねると、ドンは深い男性的な口調で「欲しい、欲しい」と答えて家族をびっくり仰天させたのである。
吠えるでもなく、うなり声でもなく、はっきりとした口調であり、主人がこの犬の才能に興味を持ったため、日々の声掛けでさらにドンの話し声は明瞭にわかりやすくなっていったということだ。
具体的に何を話したのかというと、「欲しい」以外にもお腹が減っている時は「空腹」と言い、大好物の「ケーキ」、そして「はい」と「いいえ」を口にしたという。
そしてドンはこれらの単語のいくつかを賢明に並び替えてつなぎ合わせることができ、「何か欲しいのかい?」という呼びかけに、ドンは「空腹、ケーキが欲しい」と口にしたのだった。そして最終的にドンは12のボキャブラリーを習得した。
ニューヨーク・タイムズをはじめとする新聞各紙がこのドンの驚くべき能力についてレポートすると、ドンの飼い主のもとには犬を“スカウト”しようとするサーカスや芸能マネージャーからの申し込みが殺到したという。
■アメリカで大人気となったドン
ドンは有名な動物調教者でサーカスのプロモーターであるカール・ハーゲンベックの目にも留まり、かなりの金額を飼い主に支払いマネジメント契約を結んだ。そしてハンブルクでのショーにドンを出演させると、たちまちセンセーションを巻き起こしたのだった。
ハンブルクでのドンの大成功は、アメリカ・ニューヨークの舞台プロデューサー、ウィリー・ハンマーシュタインを衝き動かした。ハンマーシュタインは今日の金額にして約125万ドル(約1憶4000万円)の移籍料を支払い、ドンをニューヨークに招いたのだった。そしてニューヨーク・マンハッタンの42丁目にあるハンマーシュタインの「パラダイス・ルーフガーデン」でのショーに出演したのだ。
案の定、ドンはアメリカでも大成功を収め、脱出アーティストのハリー・フーディーニやコメディアンのソフィー・タッカー、そして当時のトップ俳優らと共演し、“セレブ”の仲間入りを果たしたのである。
“しゃべる犬のドン”はあくまでもドイツ語しか話せなかったのだが、アメリカ人は彼を完全に愛していた。ドンはすぐに「世紀の犬の現象」と呼ばれ、彼の魅力と人気に加えて、1913年8月にはドンがブライトンビーチで溺れている男性を救ったというニュースが話題になり、ドンの人気はさらに急上昇することになる。
ドンは男性を救うために水に入る直前に「ヘルプ」と叫んだと言われている。この救出劇により、ドンはエンターテイナーとしてだけでなく、人命救助のヒーローの称号も手に入れることになった。
ドンはその後も数年間アメリカのショーに出演し、ボストン、サンフランシスコ、その他の都市で、熱狂的な観客に囲まれ、そして興味を抱いた科学者や動物の専門家たちと接することになる。
アメリカでの活躍の後、ドンは1915年にドイツに戻り、寿命で亡くなるまでの日々を過ごすことになった。ちなみにドンの最期の言葉は「私の旧友、ロニー・ハスケルに別れを告げる」というセリフであった。
多くの人々がドンの能力に太鼓判を押しているにもかかわらず、その生涯を通じて一定数の疑惑の目にも晒されていたといわれている。懐疑論者の言い分は、ドンが発する奇妙な声を人々が自ら率先して望ましい言葉へと“翻訳”しているのではないかと指摘している。
しかしドンの能力は生涯を通じて決定的に否定されることはなかった。いずれにせよ“しゃべる犬のドン”は、これまでで最も興味深い“しゃべる動物”の一員として歴史に名を残したことは確かである。
参考:「Mysterious Universe」、ほか
※当記事は2021年の記事を再編集して掲載しています。
文=仲田しんじ
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提供元・TOCANA
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