硫黄島(いおうとう、いおうじま)は、東京都小笠原村に属する小笠原諸島最大の島である。活火山を有する火山島であり、二酸化硫黄などの火山性ガスがいたるところで噴出していることか らこの名が付けられた。第二次世界大戦の激戦地であったことでも知られており、海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれ、旧島民らの慰霊のための上陸を例外として民間人の立ち入りが禁じ られている島となっている。
「硫黄島の戦い」は、1945年2月19日から3月26日にかけて行なわれた日本軍とアメリカ軍の戦闘であった。日米両軍を含めた戦没者の数は膨大であり、1985年以来毎年行なわれる日米合同慰霊祭をはじめとして、現在も精力的に遺骨収集が行なわれている。2006年に公開された映画『硫黄島からの手紙』 によって飛躍的に知名度が高まったことでも有名である。
激戦地となった硫黄島では、今もなお多くの遺骨が埋もれたままとなっており、地面を掘ると必ず人骨が出るとまで言われている。そうした事情もあってか、自衛隊員による心霊的な出来事がいくつも語られている。あまりにも心霊現象が多発するため、訓練におびえ、やりたがらない隊員が後を絶たず、ノイローゼになる者も多いという。
民間人の立ち入りが禁じられているのは、多発する心霊現象が理由なのではないかとすら噂されるほどであり、霊感の有無とは無関係に、幽霊を信じていない隊員でさえも「あつい」「水をくれ」「村に帰りたい」といった声を聞いてしまうという。
島に駐在する隊員たちのルールの中に、小銃を持ち歩いてはいけないというものがあり、これは、幽霊に遭遇してパニックを起こしてしまった隊員による誤射が多発したためであると言われている。そして、このような特別なルールが 硫黄島に駐在する隊員にはいくつもあるという。
例として、 本土へ帰還する際は島にある石や砂を持ち帰ってはならず、 靴の裏についた砂粒1つも残らず落とさなければならない。石を記念に持ち帰ったある隊員は、言動がおかしくなってから行方不明となり、数ヶ月後に島のとある洞窟内から死体で発見されたという。
また、夜寝る前に水の入ったコップを部屋の入口に必ず供えなければならない。硫黄島には川が無く、多くの兵士が水不足で苦しみながら息絶え、米軍の火炎放射器で焼かれたと言われ、水を求める兵士の幽霊の目撃は後を絶たないという。夜に水を供え忘れたために、入口から水を求めるうめき声がやまずに恐怖したという隊員もいたそうだ。
ところが、心霊現象が絶えないと言われた硫黄島で、ある時からそれらが鎮まったという話がある。それは1994年、当時の天皇皇后両陛下によって戦没者慰安として初めて硫黄島を訪 れたことがきっかけであったと言われている。この時、両陛下は慰霊碑や鎮魂の丘を訪れて拝礼したのだが、この訪問が行なわれて以後、硫黄島の心霊現象は激減したというのだ。また不思議なことに、当時心因性の失語状態であった皇后美智子様は、この硫黄島の訪問をきっかけに声を取り戻したと言われている。両陛下の硫黄島訪問は、目前であった初訪米に先立って強く本望を希望した地であり、また訪問後に両陛下の詠んだ御製には、硫黄島の戦いで日本軍司令官であった栗林忠道中将の辞世の句のフ レーズが盛り込まれている。
両陛下の、戦没者に対する篤い慰安の気持ちが多くの兵士たちの霊を鎮めたと言えるだろう。だが、硫黄島から本当に心霊現象が無くなるのは、将来戦没者の遺骨が残らず回収された時であるのかもしれない。心霊現象を抜きにしても、このような歴史があった地であることは今後も決して忘れてはなら ない。
【参考記事・文献】
太平洋戦争激戦の地・硫黄島で不思議な体験 現役自衛官が語る
硫黄島の最恐心霊体験5選【自衛隊の怖い話】
【日本の美しい禁足地vol.11】 多くの戦死者が出た激戦地として知られる~小笠原諸島の「 硫黄島」~
硫黄島の心霊体験と幽霊の話
自衛隊が体験した『硫黄島の心霊現象』天皇陛下により鎮まる。
美智子さま、 1994年の硫黄島訪問をきっかけに声を取り戻された
【文 ナオキ・コムロ】
文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
提供元・TOCANA
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