細胞内のゴミ処理機能が「早い多精拒否」を担っている
なぜ線虫なのか?
哺乳類と線虫は全く別の種のため、哺乳類の研究に線虫を使うことに違和感を覚える人もいるかもしれません。
しかし線虫も人間と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、人間が口にする食べ物の多くは線虫の細胞でもエネルギー源とすることができます。
姿形は大きく異なっていても、細胞レベルの違いは意外なほど少ないのです。
そのため線虫の細胞を研究することは、人間の細胞の謎を解き明かすカギになります。
(※ショウジョウバエも同じ理由で研究が盛んな生物として知られています)
また線虫にはウニやカエルよりも、人間に近い要素がありました。
ウニやカエルの生殖は受精前の卵(未受精卵)と精子を水中に放出する体外受精の形式をとりますが、線虫は人間と同じく体内で卵子と精子を結合させる能力があるのです。
そして今回の研究では着眼点もユニークでした。
調査にあたってまず着目されたのは、細胞でゴミ処理機能(ユビキチンリガーゼ)を担うタンパク質「MARC-3」でした。
一般的な印象では、細胞のゴミ処理機能と受精という神秘的な現象は遠い存在に思えます。
しかし最近の研究によって、受精後の卵細胞内部では精子由来のミトコンドリアをはじめとした不要な部品(細胞小器官)が分解されて、胚発生に必要な栄養源となることが明らかになりました。
この受精直後のゴミ処理は線虫において「MARC-3」という遺伝子が担っており、人間やマウスにも「MARC-3」と似た遺伝子が存在することが知られています。
そこで研究者たちは卵細胞でのMARC-3の動きを追跡しました。
するとMARC-3は成長中の卵母細胞の細胞膜に多く係留されてていましたが、受精後には細胞内で分解機能を発揮しはじめることが判明します。
つまり受精とMARC-3によるゴミ処理の動きは連動している可能性が示されたのです。
そこで研究者たちは遺伝子操作を行って、線虫においてゴミ分解にかかわるタンパク質「MARC-3」の遺伝子を削除してみました。
もし本当にMARC-3が多精拒否にかかわっているならば、MARC-3の破壊によって多精子受精が起こるようになるはずです。
すると驚くべきことに、MARC-3の遺伝子を欠損した線虫では早い時期に、多精子受精が起こるようになっていたことが判明します。
一方MARC-3の排除は線虫の「遅い多精拒否」を行う能力は残っていました。
(※線虫では受精後5分ほどで受精卵の外側にキチン層を形成することで物理的な障壁を形成しますが、この能力は残っていました)
この結果は「MARC-3」は受精後10秒以内に起こる「早い多精拒否」において、重要な働きをしていることを示しています。
また「MARC-3」においてゴミ処理機能に特に重要な働きをする部位(処理されるべきゴミにマークをつける部分)だけを破壊した場合も、多精子受精が起きてしまうことが示されました。
このことは受精卵でのゴミ処理機能(ユビキチン化メカニズム)そのものが、多精拒否において重要な役割を果たしていることを示しています。
研究者たちは現在マウスにおいて「MARC-3」を欠損させた系統を作成することを目指しています。
もしマウスでも「MARC-3」の欠損で「早い多精拒否」が起こらなくなるなることが確認できれば、哺乳類における「早い多精拒否」の解明につながるでしょう。
また新たな発見は不妊治療においても重要な情報をなり得ます。
近年、出産の高齢化に伴い、体外受精により妊娠・出産をするケースが増大してきております。
これまでの研究では、加齢した卵に対して通常の体外受精を行うと多精になりやすいことが報告されており、加齢に伴い卵子の多精拒否の力が弱まっている可能性も示唆さされています。
先に述べた通り、多精子受精が起きてしまった卵子は正常に育つことができません。
もし高齢化した卵子にMARC-3を追加することで多精拒否の力を取り戻すことができれば、不妊治療の成功率を大幅にあげることができるでしょう。
参考文献
多精子受精拒否の仕組みの一端を解明 ~なぜ卵母細胞(卵子)はただ1つの精子とのみ受精するのか~
元論文
MARC-3, a membrane-associated ubiquitin ligase, is required for fast polyspermy block in Caenorhabditis elegans
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。