坂本龍馬の暗殺については、果たして誰が犯人であったのかが現在でも諸説唱えられている。

 有力視されている「京都見廻組」(幕府の治安維持部隊)あるいは「新撰組」によるものであるというものから、蒸気船いろは丸と紀州藩船明光丸との衝突事件によって多額の賠償金を取られた紀州藩の復讐、果てはフリーメイソンではないかと言われた武器商人のトーマス・グラバーと親交があったことに起因するフリーメイソンによって消されたといったものまで様々だ。

 そんな数ある龍馬暗殺の諸説の一つに、中岡慎太郎犯人説というものが存在している。中岡慎太郎と言えば、薩長同盟を成功させた土佐藩出身の人物としてしられ、何より龍馬と共に京都四条の近江屋にて複数人からの急襲に遭い、2日後に命を落としたと言われる人物だ。

 そんな彼が龍馬を襲い殺害した犯人であったとする説は、作家である加治将一の著書『龍馬の黒幕』を原案としたテレビ番組をきっかけに広まったと言われている。

 中岡が龍馬を暗殺した動機については、互いの思想の違いによるものであったと言われている。両者は共に反幕府の思想を抱いていたのは事実であるが、その目指すべき部分は全く正反対であった。1862年に土佐藩を脱藩した龍馬は江戸に向かい、そこで出会った幕臣の勝海舟の思想に感銘を受けた。同じく土佐藩を脱藩した中岡は、長州藩との交流を深めていく中で、より過激な尊王攘夷思想へと転換していった。

 中岡の考えは、武力による討幕を目指し徳川家を一切排除するという激しいものであったが、一方の龍馬は、武力による討幕ではなく、また徳川家を完全排除せずに幕府解体後も政治に関与させ、内戦を避けようというものであったという。

近江屋事件異説、坂本龍馬暗殺の真犯人は「中岡慎太郎」だった?
(画像=坂本龍馬 上野彦馬写真館にて井上俊三が撮影。 – 1. Kochi Prefectural Museum of History (高知県立民俗歴史資料館所蔵品), 2. The Japan Times [1], パブリック・ドメイン, リンクによる,『TOCANA』より 引用)

考察されているシナリオは、近江屋にて互いに議論を交わしていた末にやはり結論が相容れることが無かったため、過激派となっていた中岡が龍馬を斬ったというものだ。また中岡の死についても、龍馬と相打ちになった結果負傷し、その後死んだという説や、龍馬を殺害した後に責任を負って自ら腹を切ったといった説がある。

 最有力とされる京都見廻組説であるが、証言の矛盾や食い違いなどがあることから完全には支持し得ないものとなっている。また、暗殺場所となった近江屋のはす向かいには土佐藩邸があり、また薩摩や長州といった倒幕派の屋敷もあったことから、見廻組はたまた新撰組がやすやすと押し入ることができたのかという疑問が持たれているのも事実である。

 余談であるが、龍馬暗殺は実のところ中岡暗殺が本命であり、龍馬は巻き添えによって襲われたというような説もあるとのこと。いずれにせよ、近江屋事件が幕末最大のミステリーであることには変わりない。

【アトラスラジオ関連動画】

文=ZENMAI(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

提供元・TOCANA

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