玉城知事はそのなかで「中国の台湾攻撃はまずあり得ない」と断言する一方、沖縄県の一部である尖閣諸島の日本領海に中国の武装艦艇が頻繁に侵入している事実にはまったく触れず、中国の軍事的な膨張や攻勢を指摘することもなかった。結果として同知事はアメリカと日本の両政府の対中抑止のための防衛力増強には反対の姿勢を打ち出す形となった。

糸数町長はこうした県知事の表明とは正反対の立場をアメリカ側に伝える結果となった。同町長はワシントンで日本の企業やメディアの代表者との討論会にも臨み、与那国島の自衛隊が地元住民の多数派にも歓迎され、中国の脅威に対する「日本の国防、安保の最前線」として枢要な役割を果たしている、と強調した。自衛隊の存在が島の伝統文化を壊すかという質問には「国家の存続や安全が最優先されるべきだが、文化への悪影響もない」と述べた。

糸数町長は玉城知事への批判も率直だった。

米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡っては昨年9月、国の「代執行」に関する最高裁判決が出され、沖縄県が敗訴した。だがなお玉城知事が反対行動を続けていることについて、糸数町長は「最高裁の判決を無視することは日本国家の法治の否定だ」と述べて非難した。「沖縄県庁職員の間でも知事の方針に反対して辞職する人が増えたとの報道がある」とも述べた。

糸数町長はまた、8月中旬のメキシコ人男性による尖閣上陸について「私自身の推測ではあるが、中国側組織が日本政府の対応を測るために仕組んだ行動ではないか」と語った。中国軍機による8月26日の日本領空侵犯については「中国軍上層部の意図による計画的な行動で、やはり日本側の出方をみるためだと思う」と述べた。

糸数町長は中国の台湾や尖閣諸島への軍事的な威圧の行動についても批判を述べ、中国を決して批判しない媚中志向の強い玉城知事との対照的な姿勢を鮮明にした。

古森 義久(Komori Yoshihisa) 1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。