かつて日本の紙幣にも肖像画として描かれた、誰もが知る歴史上の人物の一人である聖徳太子。10人が喋る内容を一度で聞き分けることができたといった逸話などでも知られ、そのほか歴史系の都市伝説においても話題が事欠かない人物でもある。

 先に触れた逸話をはじめとして、その出生の物語がイエス・キリストに類似しているという指摘のほか、未来記などにより予言を残した、空飛ぶ馬に乗ったなど、その人物像は極めて超人化されており伝説化しているのも事実だ。

 その一方で、聖徳太子は実在しなかったのではないかという説も存在しており、数々の点からその実在性が疑われている。

 まず、紙幣でも使用された有名な聖徳太子の肖像画(「唐本御影」とうほんみえい)であるが、彼が生きたとされる飛鳥時代には肖像画に描かれているような冠や笏は無く、その衣装も奈良時代以降のものではないかとされている。ヒゲの部分についても筆圧が他の部分と異なっているとの指摘もあり、描き足されたものではないかとも言われている。

 当然、肖像画の是非のみで実在したか否かを問うことはできない。次のようなものもある。聖徳太子は推古天皇の摂政であると通常説明がなされるが、この摂政という単語および役職も実は飛鳥時代には無かったと言われている。

 似たような例は彼が作ったとされる十七条憲法にも確認されており、その中には飛鳥時代当時には存在しなかった「国司」という官名が盛り込まれていると言われ、そもそも十七条憲法自体が当時日本人に知られていなかったはずの中国思想が盛り込まれているとの指摘もある。このため、十七条憲法はもっとあとの時代に制定されたものだったのではないかとも言われている。

“聖徳太子は実在しない説”は真実なのか!?提示される証拠とその真偽
(画像=聖徳太子の肖像が描かれた一万円札 画像は「Wikipedia」より,『TOCANA』より 引用)

 もう一つ、十七条憲法と併せて聖徳太子の業績の一つとしてあげられる冠位十二階がある。この冠位十二階についても疑惑があり、そもそも聖徳太子がこの制定に関与していたという確実な証拠は無いのだ。この冠位十二階は、実際は蘇我氏が制定したものではないかとの説もある。聖徳太子の主体的な関与について確実な証拠がないという点で言えば、遣隋使の派遣も同様である。

 聖徳太子が隋に送ったとされる、かの有名な「日出處(ひいずるところ)の天子」の書状も、『隋書』などには「多利思北孤(たりしひこ)」が送り主であるとの記載があるが、実際のところこれが聖徳太子と同一人物であるかも定かではないのだ。

 さらに、これまで上げた十七条憲法、冠位十二階、遣隋使派遣のほか国史編纂、三経義疏、法隆寺や四天王寺の建立など、聖徳太子の偉業とされるものは多いものの、そもそもこれだけの大業をたった一人で成し遂げられるものなのか、という根本的な疑問も呈されている。

 一説によれば、聖徳太子は中国の皇帝と対比されるような人物像を示すため、そして藤原氏の権威付けを図るための意図として、藤原不比等などにより創作されたとも考えられている。それ以外にも、聖徳太子の行なったこととされる事業自体はそれぞれ異なる人物たちによってなされ、それら複数人の業績を聖徳太子という人物の業績として”捏造した”というものもある。

 また、聖徳太子のモデルとなった人物が実在しており、その人物が暗殺などの最期を遂げたことによって怨霊化することを恐れたことから、最高の称号として「聖」「徳」の字を授け、大業をなしたものとして祀り上げたのではないかとも考えられている。

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文=ZENMAI(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

提供元・TOCANA

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