いまの陛下の元では、論理的な可能性としては、雅子さまが男子を出産されるとか、離婚あるいは死別されて陛下が再婚されて男子が生まれたらそちらが優先になる。

それなら、立皇嗣礼はどういう意味を持つかと言えば、その可能性はないという判断を内外に示したということである。

だから、秋篠宮殿下が皇太子とは違う立場というとすれば、もし、天皇陛下に男子がこれからも生まれる可能性はあるから考えろということを意味するがその自覚があるのだろうか。

それから、海外の皇嗣は弟であっても皇太子と呼ばれているが、秋篠宮殿下は呼ばれていないから同格でないと誤解している人がいる。

そもそも、皇太子という呼称は中華帝国独特のものを律令時代や近代日本で真似ているものだ。たとえば、朝鮮王国や琉球王国では世子だった。

西洋でどうかと言えば、皇太子に似たニュアンスの称号がなく、皇嗣にあたるプランス・エリティエ(仏)とかクラウン・プリンス(英)と一般的にはいわれるだけだ。

また、歴史的にウェールズ公(英)とかドーファン(仏、ドーフィネ公)、アストリアス公(スペイン)、オランへ公(オランダ)、ローマ王(神聖ローマ帝国)などと呼ばれることもある。

そういったさまざまな呼称を日本のマスコミが勝手に皇太子という『誤訳』をしているだけであって、それに騙された議論が横行しているのであるから情けない話だ。

こうした議論も、新刊『系図でたどる日本の皇族』(宝島社)で詳しくきちんと論じている。