1972年、アメリカン・ローンスター

パッセンジャーカーのアニュアルキット・ラインナップを半ば諦めたamtが大型トラックのキット化で収めた成功には目を瞠るものがあった。

セミトラクターとセミトレーラーの商品単価がそれぞれ5ドル、もちろんどちらか一方を組み上げて満足するユーザーはいない。年式ごとの差異を執拗に追いかけ、その再現を模型メーカーに求めるユーザーもほとんどいない。ピータービルト359を組み上げて満足したユーザーは、次にピータービルトの他のモデルを求めるよりは、味わいの異なるシェビー・タイタンやホワイト・フレイトライナー、オートカーへと食指を動かすこともわかってきた。

製品化ライセンスの取得にかかるコストは相対的に小さくなり、スケジュールにも余裕が生じて、大型トラックのキットのできばえは総じて素晴らしいものになった。

前年に意欲的な試みとして、商品単価10ドルに及ぶアメリカン・ラフランスの消防車を一気に製品化したamtは、期待したほどではなかった売れ行きから確かなマーケティング・フィードバックを受け取った。どう転んでも消防車にしかならないものが単価10ドル、やはり無理があった。セミトラクターとセミトレーラーのように組み合わせの妙も味わえず、塗装する愉しみに赤以外の幅がなく、はしご車をひとつ組み上げたユーザーにもうひとつ同じようなポンプ車を作らせるのはホビーとしてはストイックすぎた。

ここでamtの企画チームが思案したことは、飽きのこない多彩な車種を、包括的なひとつのテーマの下に集結させられないかということだった。ピックアップトラックを含む過去の「普通」の車の膨大なラインナップ、そして新しい大型トラック、その両方を今後にわたって活かせるメディウムのようなテーマ。その答えは比較的すぐに導き出された。コンストラクション・エクイップメント――建築現場に集まる「はたらく車」である。

この新しいコンセプトのキックオフがちょうど1972年だった。テーマの中心に据えられた新金型のアイテムは、1/25スケールのキャタピラーD8Hブルドーザーだった。操作系の細かい再現とターボチャージャー付きの巨大な6気筒ディーゼルエンジン、ワーカブルなトレッド(履帯)を含んだこのキットは、amtのモデリング・エンジニアリングの精華ともいえる傑作に仕上がって、その後30年の長きにわたってamt年次カタログの一角を整地し続けることになる。

キットは品番T818の単品販売に加え、任意のセミトラクターに牽引させることができるローボーイ・トレーラー付きのセットも抜かりなく併売された(品番T558)。

このブルドーザーのコンパニオン・ビークルとして、大型トラックのラインナップから、フォードとケンワースがドレスコードをきちんと踏まえて参集した。フォード・LNT-8000はダンプトラックに、同C-600はステークベッド・トラックに。ケンワースは非常にしゃれたデカールの付いたセメントミキサーとなって登場した。

過去のアニュアルキット・ラインナップからは、1965年式のシボレー・エルカミーノとシボレー・ブレイザーSUVが建築現場に馳せ参じた。アニュアルキットのセオリーからすればとうの昔に時代遅れとなっていたモデルであっても、建築現場ではそれがどこかベテランの趣きに変わる。エルカミーノのベッドにはシェルトップが追加され、1970年の初出時には剥き出しのロールバー姿だったブレイザーにもしっかりとした屋根がつき、それぞれに「ギア・ハスラー」「クルー・チーフ」という明確な役が与えられた。問題解決能力に長けたエンジニアの車と頼りになる現場監督の車という趣向だ。

ブルームフィールド・コンストラクション、オークランド・ビルダー・サプライといったいかにも説得力あるデカールが用意され、不整地用のコマンドタイヤやヘルメットといった気の利いた小物パーツも追加された。

往年のトンカ・トイズの成功をなぞるようなこの建築現場というテーマは、必ずしも即効性のある大ヒットには結びつかなかった。事実、1972年9月という具体的な発売を目指して開発がはじめられていた多くの可動箇所を含む1/25スケールのリンクベルト・スピーダー・パワーショベルのキットは土壇場で開発が凍結されてしまった。

迫り来る大型トレーラー、立ち込める暗雲!どうしてこんなことに…!?【アメリカンカープラモ・クロニクル】第33回
(画像=羽田 洋、畔蒜幸雄、秦 正史、『CARSMEET WEB』より引用)

amt建築現場シリーズの中核であるブルドーザーは発売当初からその凝った内容が評判を集めたキットだった。セミトラクター1台・トレーラーがそれぞれ5ドル、前年の消防車が10ドルという時代に、ブルドーザー単体が7ドルというのは戦略的でありつつなかなかの高価だったが、その後現在にいたるまでほとんどブランクなく何度も再販されたところに、この意欲的なキットの真価がうかがえる。いまも現役と呼べる2020年の再販(画像のものがそれ)があるので、ぜひ手にとっていただきたい。

しかし、この挑戦はアニュアルキットのような「急ぎばたらき」ではない、より普遍的なロングセラー商品の可能性をアメリカンカープラモの世界に示すことになった。デトロイト・ショールームの目のまわるようなファッション・モデルから、地に足のしっかりついたタフなホビーへと、アメリカンカープラモそのものが変わろうとしていた。

前年のジンガーズ・フィーバーをややトーンダウンし、いまや寡占状態となったアニュアルキットを元のオーセンティックな趣向に差し戻したMPCは、ボックストップに「MPC 500」と銘打ったキット化アイデア・コンテストのキャンペーンを展開した。

amtのオールアメリカン・ショー&ゴーとは異なり、特別な新商品群をともなわない比較的小規模なキャンペーンであったが、ジンガーズのヒットの発端がいちユーザーの独創的なアイデアだったことを思えば、MPCのこのささやかな取り組みも納得がいこうというものだった。MPCは事実上アニュアルキット最後の砦となった自らを固く守りつつ、流行を察知するアンテナの指向性を全方位にめぐらせることに余念がなかった。

ライセンスから離れたところで

アニュアルライセンスに見切りをつけたレベルと、そもそもアニュアルライセンスに興味を示そうともしなかったモノグラムは、ともにデトロイトの顔色をうかがう必要のないアイテムを適宜キット化しながら、総合プラモデルメーカーの利を発揮して、どちらかといえばミリタリーアイテムの拡充にこの頃余念がなかった。

これまで本連載ではほとんど取り上げてこなかったレベル、モノグラムだが、両社とも1960年代を通じては「現行のパッセンジャーカー」と呼べるキットをほとんど製品化してこなかった。その理由がつまるところデトロイトのライセンスにあったことは、本連載の読者であれば重々ご理解されていることと思う。

この時期の両社からリリースされたカープラモは独特のコントラストをなしていた。レベルは比較的シリアスな路線を歩み、実在することをある程度尊重したホットロッド・アイテムのニッチをメインに、デイブ・ディールのイラストレーションにもとづいた「おやつ」を加えつつ気ままに拾い上げたが、モノグラムは親会社マテルの意向でもある「より玩具的な」ショーロッドタイプのアイテムを中核に据え、トム・ダニエルのデザイン/ケン・マーカーの設計によってどんどんものにしていった。

実車のオーセンティックなスケールダウンという本連載の本筋からはややはずれるアイテムが大半を占めるものではあったが、これらのキットは確実に若年層の心をつかんで、アニュアルキット離れの空気を強く後押ししていた。しかし1972年になって、両社にはそれぞれ未来に向けた準備ともいえる地味ながら大きな転機が訪れていた。

レベルでは長年カープラモの展開を取り仕切っていたジム・キーラーとボブ・パスが1969年をもって退社し、1/1スケールのファイバーグラス製ボディーをもつ本物のストリートロッドを製作していたダレル・ジップがディレクターとして同社に就任した。

モノグラムでは現場のベテランであるロジャー・ハーニーがより責任あるスーパーバイザー職に就任して体制を強化した。ダレル・ジップ体制のレベル・カープラモ部門はこのあと急速にファニーカー路線へ傾倒、ロジャー・ハーニー体制のモノグラムは実車なきショーロッド路線を加熱させながら、数年後同社に訪れるさらなる「シリアスな変化」を受け容れる準備をととのえていく。

プロモーショナルモデルあがりのデトロイト勢に較べるといつもどこか享楽的にみえたレベルとモノグラムの明るく力の抜けたビジネスは、ほんの一瞬ではあるが、ジョーハンに影響を与えることもあった。

1967年初出のローリン・ランビュランス(RRRRoarin RRRRambulance)という風変わりなドラッグ救急車はまさにそうしたアイテムで、ショーロッドのムードとドラッグ救急車という荒唐無稽、そして徹底してふざけ切ることができないジョーハンの生硬さがアンビバレントなまま商品となったようなアイテムだった。

1967年というかなり前のアイテムをあえてここで紹介するのは、この頃のジョーハンにはもはやその年の新製品だけでカタログを埋め尽くすことができなくなっていたという事情を伝えようとするものだ。

ジョーハンはこのところずっと、冊子として綴るでもないモノクロのフライヤーのような「カタログ」にこうした古い商品を掲載し続けていた。ジョーハンの自称する売れ筋商品は、わずかながら目を瞠る新製品があったにもかかわらず、ずっと、ずっとクライスラー・ターバインのままだったのだ。

むしろ問題は、1/25スケールの模型ではなく、1/1スケールの実車の方に起こっていた。

大気浄化のための法律が暗雲となって…

1970年に改正された大気浄化法(通称マスキー法)について、アメリカ環境保護局が官報に告知した内容にはきわめて厳しい自動車の排出ガス規制基準が盛り込まれていた。

要約すれば、1970年型・1971年型の車が排出するガスを基準として、1975年以降に製造される車については一酸化炭素(CO)と炭化水素類(HC)の排出量を1/10以下に、1976年以降に製造される車についてはさらに窒素酸化物(NOx)の排出量をやはり1/10以下に制限し、この基準を達成できない車は期限以降の販売を一切認めないというものだった。

いうなればこれは隆盛をきわめたスーパーカー/マッスルカーに対する余命宣告であり、来たるべき新時代の車は小さくおとなしく、少なくともコンシューマー・ユースの車は従来の「スリル」とは無縁のものであるべしという託宣でもあった。

amtはかつて、最新型の車のアウトフィットを忠実に模したプラスチックの模型を組立キット化することでこの趣味の基礎を固め、そこにエンジンという精密な差異を盛り込むことで趣味の方向性を完全に決定づけた。その差異をより詳細に追求することで、MPCやジョーハンもビジネスを育ててきた。その流れの中で培われてきた設計ノウハウやユーザーへの訴求方法のすべてが近い将来に無効化されるであろうことがはっきりしてしまった。

実車にかかる税や保険料の高騰は、アマチュアの自動車競技熱に冷水を浴びせこそすれ、アメリカンカープラモには本質的にかかわりのない話であった。アマチュアがどんなに挫折したところで、ほんのひと握りの栄光あるマシンをプラモデルはそっくり忠実に大量生産し、求める者すべてに行きわたらせることができ、またそれこそが本懐だった。

ただ、そうしたアメリカン・ローンスターも、あくまで市販車をベースとしているところに輝きの中心があり、そのためには市販車こそがまず大きく力強く、そもそも輝かしいものでなければならなかった。1/1スケールの実車が弱々しく、ちっぽけでただ安全なものになっていく。1/25サイズに凝縮されてきたはずの魅力が、期日を定められた呪いによって、ただのシュリンクに変わろうとしていた。

※今回、「コンストラクション・ブルドーザー」や「ギア・ハスラー」を含むトラック/トラクタ/トレーラーの各種再販キット(オートカーを除く)の画像は、有限会社プラッツよりご提供いただきました。 ※また、「モンテカルロ ’72」および「トラブルメーカー」は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。

ありがとうございました。

文・bantowblog/提供元・CARSMEET WEB

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