天の逆鉾(あまのさかほこ)は、日本神話に登場する神器の一つで、宮崎県と鹿児島県の県境にまたがる霧島連山の主峰:高千穂峰( たかちほのみね)山頂に突き立てられた鉾である。柄の部分が埋まり、穂先が天上を向いているこの不思議な神器は、石の宝殿(いしのほうでん:兵庫県高砂市)、四口の神竈( よんくのしんかま:宮城県塩竃市)と並び、古くから”奇跡” と伝えられる三種の建造物『日本三奇』 の一つとして知られており、霧島東神社の社宝となっている。
天の逆鉾は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) が高天原から高千穂へ降りる際に天照大神から下賜(かし) された神宝の一つとされている。その正体は、伊弉諾(いざなぎ) と伊弉冉(いざなみ) の夫婦神が日本列島を作るために大地をかき混ぜた時に使った「天沼矛」(あねのぬぼこ)とも言われており、 穂先を下に向けてかき回したことになぞらえて「逆鉾」と呼ばれるとともに、天上の神による支配の証として降り立った高千穂峰山頂に突き立て たと言われている。ただし、仏教などの習合もあり、天沼矛とは完全に同一視されていない傾向もある。
一説には、登場早々に突き立てられて役目を終えてしまうという描写が意味するのは、二度とこの鉾が使用されないよう封印するためであると言われている。天の逆鉾は、大八洲(おおやしま) を原初の海に帰する神威を持った神器であり、統治の失敗や破滅による最後の禁じ手、あるいは何者かの邪心による天地創造・ 統治リセットの悪用を防ぐためのものであるとも考えられている。
古くは、奈良時代の頃にはすでに存在していたとも言われるが、遅くとも江戸時代の神道家橘三喜(つばきみつよし)の旅行記『 諸国一宮巡詣記』(1600年代後半) には記載が残っているため、それよりも古いものであることは間違いないだろう。逸話と言えば、坂本龍馬が新婚旅行で訪れた際、妻のお竜と共に天の逆鉾を引き抜いたというものが有名であり、彼が姉に対してこのことを手紙に記し「元通りに戻しました」 ということであった。
天の逆鉾は、神話上では瓊瓊杵尊が突き立てたとされているが、実際に誰が突き立てたのかについては諸説唱えられている。その一つに、霧島山は修験道でも名が知られている地であるため、熱心な修験道の信仰の一つとして山上に置かれたものではないかと いうものがある。この推察は、民俗学者喜田貞吉によるところが強い。
そして、もう一つの説では「島津義久が作らせた」というものがある。島津義久といえば、戦国から安土桃山にかけての武将であり、島津家第16代当主として天下に島津の名を知らしめた名君として 知られる。島津家は代々霧島神社への信仰が篤く、特に彼は神社へ参拝してそこでクジを引き、戦いなどの重要ごとの決定を行なっていたほどであったという。説によれば、島津藩がその勢力を誇示するために作ったのがその鉾であると言われており、それを指示したのが義久であったというのである。
天の逆鉾は今もなお謎が多く、現在突き立てられているものは、埋まっている柄の部分を除いてレプリカである。これについては、龍馬が訪れた後に噴火や地震によって抜き出た際に折れてしまった ためとも言われているが、一方では龍馬より数百年前にはすでにレプリカで設置されていたとも言われハッキリとしていない。それどころか、折れた本物は島津家に献上されて以降、様々な人の手を転々と渡った末に現在行方不明となってしまっている。先に統治のリセットを封じたという謂れがあることに触れたが、そのような邪な者の手に渡っていないことを強く祈りたい。
【文 ナオキ・コムロ】
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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