フライドチキンをメインとしたファーストフードチェーン、 ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者といえば、カーネル・サンダース。ブランドのアイコンとして、店頭に立つ彼の立像も非常に印象的である。ガソリンスタンド経営の中でカフェを開業、のちに独自製法によって作られたフライドチキンが人気となり、60歳を超えてケンタッキーフライドチキン1号店が開業されて以降、世界的なシェアを誇るファーストフードとなっていった。スフィンクスの目線の先に、KFCがあるという話はあまりにも有名である。
生い立ち、数々の転職、恐慌や戦争による憂き目、そうした数々の苦難を乗り越えた彼の生涯は、真面目に、そして全力で生きることの大切さを示すものとして語られることもある。ただ一方で彼の生涯は、言いようによってはとんでもなく豪快で、また無茶苦茶な言動が見て取れるのも事実である。
彼は、実に40種もの職を転々としており、しかもその多くがケンカが原因によるクビであったと言われている。通信教育のような形で法律を勉強した末に弁護士となった際には、治安判事裁判で弁護士として法廷に立ったものの、依頼主と殴り合いになったこともあったという。そもそも彼は非常に口が悪いことでも知られており、短気で怒りっぽく、不機嫌になると言葉遣いがかなり荒くなった。 そのことは、雑誌『The New Yorker』(1970年発行)においても「その迫力とバラエティに富んだ罵声で有名だった」と記載されていたほどである。
見た目からは想像もつかないような話ではあるが、気性が荒く喧嘩っ早くも見える彼の逸話の中でも、特に強烈であるのはガソリンスタンド経営時のこと。彼がスタンド経営に乗り出したケンタッキー州コービン、ヘルズ・ ハーフ・エイカーは、治安が荒々しい土地柄であったという。当時、同じ地域の競合相手マット・スチュアートが、カーネルの作成した客寄せ看板を塗りつぶしたことをきっかけに、なんと互いに銃撃戦まで繰り広げられたという。結果として、スチュアートはカーネルが連れた仲間一人を殺害したために禁固刑 が下り、一方スチュアートの肩を打ち抜いたカーネルは告訴が取り下げられ、同地域のスタンド市場を握ることに成功した。
ある意味、お騒がせな人物ともとれるカーネルであるが、日本とのゆかりもある。KFCが日本上陸を果たしたのは1970年、その2年後に彼は来日を果たしているが、「日本のKFCは私の製法を忠実に守ってくれている」と感激していたという。また、像が店先に置かれるようになったは日本が最初であったと言われており、カナダでイベント用に作られた立像が本社の倉庫に置きっぱなしであったのを日本法人の幹部が見つけ、それを持ち帰り店先で飾ったものが定着したのだ。このアイデアは、当人も非常に喜んだそうだ。
しかし、日本との縁で忘れてはならないのは、やはり「カーネル・ サンダースの呪い」だろう。 阪神リーグ優勝に沸いた1985年の大阪、狂乱したファンたちによってカーネル・サンダース像が道頓堀川に投げ込まれたのだ。「ランディ・ バースに似ていたから胴上げしたかった」というファンの暴走により、店員が制止するも殴りつけられた末に強奪された結果の事件であった。これ以来、阪神タイガースの成績は低迷し続け、これは川に投げ込んだカーネル・サンダースの呪いではないかと恐れられるようになったのだ。この出来事は、1988年にテレビ番組でも特集が組まれ、そして2009年に道頓堀の整備事業の際とうとう発見され大きく報道されたということを、覚えている人も多々いるだろう。
お騒がせが絶えなかったカーネルであるが、その最後のひと騒動がこの日本での”呪い” であったのかもしれない。もっとも、生前の彼の性格からすれば必ずしも否定できないのが怖いところではある。
【参考記事・文献】
カーネルサンダースの呪いや人生にまつわる9の話
まるで不死鳥…!カーネルサンダースの都市伝説は実話だっ
カーネルサンダースの呪い&子孫と死因!日本KFC好きの理由・ 道頓堀への像落下・都市伝説まとめ
【文 ZENMAI】
【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】
文=ZENMAI(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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