40代は世間で言われているほど意外と体力や気力がないわけでもない。やろうと思えばまだまだ何でもできる。むしろ、知恵と経験と資金がある分、若い頃よりうまくやれることもあるだろう。この選択肢の多さが40代を惑いの年頃にしてしまうのだ。

人は一生悩み続ける生き物

40代が本当に不惑だった時代、生き方はもっとシンプルだったはずだ。すなわち、現代のように迷うほど選択肢があるのはある種の贅沢である。「足るを知る」という意味を理解しつつも、人は選択に迷うことをやめられない。

そして不惑は当面やってこないことをおぼろげながら見えてきた。知人の経営者は60代、70代でも迷っている。「出資者になって憧れだったカフェのオーナーになろうと思ってるけど、妻に反対されてる。出店場所や構想について君はどう思う?」みたいに意見を求められることがあって驚かされる。すでに十分お金を持ち、仕事で成功しているのにまだまだ新しいことをやりたくて悩んでいるのだ。

また、親族は「ずっと住んでいた家が古くなって震災が不安。マンションの購入に迷ってる」という。年齢は70歳近くで迷いに迷い、しょっちゅう物件の購入相談に足を運んでいる。

人が迷うことがなくなる時があるとすれば、それは何も欲しくなくなったタイミングかもしれない。そう考えると、選択肢の多さに迷うということは非常に恵まれているといえる。避けられない運命を受け入れるしかなくなった時、「迷いは贅沢品だったのだな」としみじみと噛みしめるのだろう。

 

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