私は嘗て此の「北尾吉孝日記」で『人を説得する』という中で、「分かり易い話し方とは簡単な言葉で自分の言いたい事柄を上手く説明出来ることだと思います。自分が良く分かったことは噛み砕いて人に説明出来るようになりますから、他人が分かりにくいということなら、自分が本当に分かっていないのではないでしょうか」と述べたことがあります。
何事によらず、普通の人に分からなければ駄目なのです。取り分け哲学の類こそ分かり易さを追求し、人に分かるようにしなければなりません。何か分からなくすることが哲学的かの如く錯覚していたら、とんでもない話です。それでは、人格を陶冶し続けた先哲達も浮かばれませんね。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年8月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。