廣済堂の歴史

 廣済堂は1949年、櫻井謄写堂として創業した。創業者の櫻井文雄(義晃)氏は印刷会社から出発し、1970年代から80年代にかけて不動産開発、ゴルフ場経営、出版など事業を多角化。かつては、多数のゴルフ場を経営するゴルフ場会社としての色が濃かったが、04年に櫻井氏が83歳で死去し、巨額な借入金を返済するため、負の遺産の整理に着手。ゴルフ場子会社を次々と売却した。

 東京博善の創業者は、1881(明治14)年に牛鍋屋「いろは」を創業しチェーン展開させた実業家・木村荘平氏。明治後半に、全国で寺院が運営する火葬場が自治体直営に転換するなか、東京では東京博善が火葬場を統合したことから民営の火葬場として残ったとされる。1983年に廣済堂の櫻井氏が東京博善の筆頭株主となり、85年、会長兼社長に就任した。東京博善の大規模増資を引き受け、94年に廣済堂が6割の株式を手に入れ、子会社に組み入れた。

 ここ数年、廣済堂の経営は揺れていた。当時の経営陣は19年1月、米投資ファンドのベインキャピタルと組んでMBO(経営陣が参加する買収)による上場廃止の方針を打ち出した。ベインはTOB(株式公開買い付け)を実施して完全子会社にすることを目指した。創業家がこれに反対し、投資ファンドのレノがMBOに対抗するTOBを仕掛けTOB合戦となったが、いずれも不成立に終わった。

 廣済堂の筆頭株主だった、格安旅行会社エイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄氏が会長を務めていた澤田ホールディングス(当時)は19年7月、廣済堂株の売却を決議し、グローバルワーカー派遣に売却。同社は中国語新聞の発行や中国の映像コンテンツを発信する中文産業の100%子会社で、中文産業はラオックス社長の羅怡文氏が設立した会社。現在の広済堂HDの筆頭株主はグローバルワーカー派遣となっている

(文=Business Journal編集部)

提供元・Business Journal

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