第二に、イスラエル不招待の一貫性である。広島市の場合には、日本政府の政策に追随して、ロシアとベラルーシを招待せず、イスラエルを招待しない、という措置をとった。これに対して長崎市は、ロシアとベラルーシに加えて、イスラエルを招待しない、という措置をとった。なお広島市はパレスチナを招待せず、長崎市は招待した。

世界には、紛争中の悪行に関わる国は他にもある。ただ、それを言い始めたら収拾がつかないし、平和祈念式典開催の趣旨に合致しているかも疑わしくなる。特に大きな問題性があり、「平穏かつ厳粛な雰囲気のもと、円滑に式典を行う」ための障害になる二件を特例扱いした判断は、間違っているとは言えないだろう。

第三に、地方自治体が担う外交的役割である。原則論としては、式典の主催者は長崎市であり、平和を祈念するのは長崎市における被爆の歴史を鑑みてのことであるので、長崎市が、長崎市の持つ価値観にしたがって、判断するのが当然である。

鈴木市長は、今回の判断について「長崎市の立場で判断した」としつつ、「外務省との間では常に情報共有させていただいている」とも述べた。外務省は、いたずらに長崎市に政府の方針を押し付けるよりも、長崎市の式典は長崎市の判断で行われる(政府は第一義的な責任を負わない)、という原則を尊重した方が望ましい、という姿勢で、相談協議に応じていたことが示唆されている。

なお、G7各国大使の見解に関して、私見を付記しておきたい。英国のロングボトム駐日大使は、長崎市の平和祈念式典に欠席する理由について、「ウクライナ侵攻を理由に招待していないロシア、ベラルーシとイスラエルが同じ扱いとみなされ、誤解を招く。ロシアは主権国家を侵略したが、イスラエルは自衛権を行使している」と、長崎市を批判したという。