新進気鋭のジウジアーロを起用したスズキの決断
スズキ自動車(1990年からスズキ)は、1969年8月に同社の軽商用車であるキャリィ・シリーズの第4世代となるL40型キャリィ・バンをデビューさせた。当時の軽自動車は、最大排気量360ccの時代だった。車名のキャリィ(Carry)は、文字どおり「荷物を運ぶ」という意味である。現在、キャリィはトラックの名称で、1BOX形状のライトバンはエブリイを名乗る。だがこの頃はトラック、ライトバンともにキャリィの同一ネーミングだった。
サイズや排気量に規制があるKカーという条件下では、ライバルと同工異曲ともいえるモデルになってしまうことは致し方ないことだ。そこで、スズキはスタイリングデザインをイタリアン・カロッツェリアに委ねることを決断する。選ばれたカロッツェリアは、独立して自らの設計事務所を起こして間もない新進気鋭のデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロである。ジウジアーロは、1968年にそれまで主任デザイナーの地位にあったカロッツェリア・ベルトーネを辞め、新しいデザイン会社、イタル・デザインを29歳で設立したばかりだった。イタル・デザインの処女作は、1968年に発表したスーパースポーツのビッザリーニ・マンタで、その革新的なデザイン手法は世界的な注目を集めつつあった。
そんなイタル・デザインに、軽商用車である新型キャリィのスタイリングデザインを依頼したのだから、スズキの熱意は半端なものではなかった。果たして、でき上がった新型キャリィのスタイルは、業界をアッといわせる斬新なものとなった。ジウジアーロが描いたフォルムは、フィアット600をモノフォルム化したスペースワゴンのムルティプラの現代版といったイメージだった。ジウジアーロの頭の中にあったのは、荷物を積むためのクルマではなく、人間を運ぶためのワゴンだったようだ。リアエンドの大きな傾斜はキャビンを明るくするための工夫。前後ウィンドウの傾斜はほぼ対称形で、ちょっと見にはどちらが前か後ろかわからないほどだった。武骨なスタイルが多かった軽商用車のデザインとしては、数世代を先んじるものとなった。
パワーユニットは2サイクルの2気筒搭載
スズキ・キャリィ・バン360として売り出されたL40Vのボディサイズは軽規格一杯の全長×全幅×全高2990×1295×1575mm、ホイールベース1745mmとなっていた。荷室長×幅×高は1320×1170×1010mmと数値的には十分だったが、リアウィンドウが寝ていたために、実際にはあまり使い勝手がよくなかったという。
フロントに縦置きで搭載され、後輪を駆動するエンジンは、排気量359ccの空冷2気筒2サイクル。7.3の圧縮比とシングルキャブレターを装備して25ps/6000rpmの出力を発揮した。注目点は、スズキ独特のガソリンとオイルの分離給油システムであるCCI(Cylinder Crank-Injection)を搭載して耐久性と性能向上を果たしていたことだ。
トランスミッションはフルシンクロメッシュ機構付き4速マニュアルの設定で、シフトレバーはステアリングコラムに付けられていた。オートマチックや4WD仕様は設定されていない。フロントサスペンションは軽商用車としては異例のダブルウィッシュボーン。ブレーキはフロントがツーリーディング、リアがリーディングトレーリングの4輪ドラムでサーボ機構は付かない。今日では考えられないほどシンプルなメカニズムだ。最大積載量は300kg(2名乗車時)で、最高速度は95km/hが可能だった。価格は37万9000円で、ライバル他車とほぼ同レベルにあった。
スタイリングが画期的だったL40系キャリィだが、当時の軽商用車ユーザーの多くは、そのデザインの魅力を理解することができず、荷物の積み下ろしや荷室空間の狭さに苦言を呈したという。1972年5月にモデルチェンジしたL50系キャリィでは、ジウジアーロの個性をだいぶ希薄にしたオーソドックスなスタイルになっていた。その半面、実用性が大きく向上したのは事実で、キャリィは高い人気を獲得する。Kカーながらイタリアン・カロツェリアの作品が商品化されたことの証として、L40系キャリィは記憶されるべきモデルである。