ウクライナ戦争、ガザ紛争など戦争の生々しい現状が世界各国のお茶の間のテレビに届けられるようになった。「戦争」と言えば第2次世界大戦を指し、遠い昔の出来事という認識を改めざるを得なくなっている。

欧州で発生した戦争の中でも、いまだ傷痕が深いのが1992―95年のボスニア紛争である。4年弱の紛争の結果、死傷者20万人、難民・避難民は住民の半数に上る約200万人に上った。

1992年3月、ユーゴスラビア連邦(当時)からの独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴビナで発生した、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(イスラム教徒系ボスニア人)による戦いであった。

支配地域から他民族を追い出す民族浄化が横行し、紛争末期の1995年7月、国連が「安全地帯」として指定していたボスニア東部スレブレニツァにセルビア系の武装勢力が侵攻し、ボシュニャク人の少年や男性たちを次々と殺害した(「スレブレニツァの虐殺」)。犠牲者は8000人を超える。遺骨が見つからない人も多く、スレブレニツァの集団墓地には身元が確認された遺骨を埋葬する式典が毎年行われている。

1995年12月、米欧などの介入によって和平が実現し、現在のボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク系、セルビア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系住民による「スルプスカ共和国」という2つの主体によって構成される。それぞれが独自の大統領、政府を有するなど高度に分化されている。

国連決議では立場割れる

来年7月はスレブレニツァの虐殺発生から30年目となる。

今年5月23日、国連総会は毎年7月11日を「1995年のジェノサイドを反省し、記念する国際的な日」とする決議を採択した。セルビアを含む複数の国は決議が「セルビア人を悪者扱いしている」として決議反対の運動を行ったが、日本を含む84カ国が賛同し、採択が実現した。19カ国は反対し、68カ国は棄権、22カ国は投票に参加しなかった。国連常任理事国の5カ国では米英仏が賛成し、ロシアと中国が反対した。