しかしながら、育児はそうはいかない。長男は年齢の割にかなりしっかりしたことをいうので、自分は日常的にかなり難しい政治や経済、ITの話をしている。しかし、「え?あの難しい話が理解できるのに、この話はわからないか?」と時々ギャップに驚くことがある。まだまだ精神的に幼い子供なのだ。

また、図や絵を書いてロジックで説明して理解できても、実感として入らないこともよくある。そんな時は無理に頭を押さえつけて理解させようとせず、「この子の成長を待つ」というスタンスでいる。

だが親の中には「待つ力」が弱い人も少なくない。子連れで外に出ると、必然的に子供が多いスペースで過ごすことになるのだが、周囲に人がいるのに子供に激しく怒りをぶつけて「なんでわからないの!」と激昂する親を見ることがある。どうやら、以前説明したのに同じ過ちを繰り返したということに怒っているらしい。しかし、子供には子供の成長ペースがある。気長に何度も説明をして精神的な成長を待つしかない。いつかわかる日が来ることを信じて。

人間関係における「待つ力」

最後は人間関係である。人間関係は基本的に相手のペースに合わせるしかない。それが複数人で行動するという意味である。

学校や園で保護者が行事や手伝いをすることがある。そのオペレーションをリードするのはあくまで普通のパパ、ママがやるので正直、かなり効率が悪いと感じることも少なくない。

内心では「こうやったほうが断然早いな」と思っていることもあるが、みんな楽しそうにおしゃべりしながら作業をしているので自分は何も言わない。少々非効率でも、周囲のペースに合わせるようにしている。

だが、どうしてもという時は提案することもある。あくまで雰囲気を壊さない程度に「現在の情報伝達は紙や口伝ですが、このアプリで管理すると楽ですよ」と提案することで歓迎されたこともある。でも、基本的にはあまり口を出さないように意識している。「自分が自分が」となるとムダにイライラしてしまうし、周囲の雰囲気も悪くなる。これもある意味で、待つ力だと思っている。