旧約聖書時代は「目には目を、歯には歯を」の歴史で、「報復」は聖なる業と受け取られた。イエス後の新約聖書の世界では「報復」という行為はもはや聖なる業とは見られなくなった。イエスは弟子たちに「誰かがあなたの右の頬を打つならば、ほかの頬をも向けてやりなさい」(「マタイによる福音書」第5章39節)と語り、「報復」ではなく、愛でそれに答えよと諭す。その意味で「報復」は旧約時代の所産だった。

旧約聖書の創世記には、神はカインを「エデンの園」から追放する時、身の危険を案じるカインに対し、「カインを殺す者は7倍の復讐を受けるでしょう」(創世記第4章15節)と述べ、カインへの攻撃に対して、神自ら報復すると語っている。一方、新約時代に入ると、「愛」が唱えられてきたが、実際は「報復」は繰り返されてきた。旧約時代と異なる点は、「報復」するのは神ではなく、人間が自ら報復する。

ちなみに、旧約時代、ユダヤ民族を驚かせたのは、何も罪を犯していない義人が多くの試練を受けることがあるという「ヨブ記」の話だ。イェール大学の聖書学者、クリスティーネ・ヘイス教授は「ヨブの話はユダヤ人の信仰に大きな影響を与えた」という。ドイツのナチス政権時代、多くのユダヤ人が犠牲となったが、この時も「なぜユダヤ民族が悲惨な道を歩むのか」と自問し、神の不在に苦悩していったユダヤ人がいた(「アウシュヴィッツ以後の『神』」2016年7月20日参考、「『ヨブ』はニヒリストにならなかった」2021年2月27日参考)。

イスラエルの著名な歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「『平和』(peace)と『公平』(justice)のどちらかを選ぶとすれば、『平和』を選ぶべきだ。世界の歴史で『平和協定』といわれるものは紛争当事者の妥協を土台として成立されたものが多い。『平和』ではなく、『公平』を選び、完全な公平を追求していけば、戦いは終わらず、続く」と述べている。ハラリ氏は「公平」と「正義」に拘っている限り、戦争は続くしかないと警告を発しているわけだ。