「あの地震では一体何が起きていたのだろう?」
この疑問は、2011年の東日本大震災について考える際、私たちの心に浮かぶ最初の思いです。
新潟大学らで行った最新の深海探査によって、震災の隠された驚異的な痕跡――巨大な断層崖の存在が明らかになりました。
海洋プレートの沈み込みで起こる「海溝型地震」で現れた断層崖を現場で観察・記録・報告したのは世界で初めてです。
震源地の直上となる海底では、何が起きていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年12月26日に『Communications Earth & Environment』にて公開されました。
海底で起きた大規模な破壊の爪痕
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、その衝撃波は私たちの記憶に深く刻まれています。
震災直後から開始された多角的な観測によって、今ではその地震の驚くべき詳細が明らかになっています。
震源は海溝の西方約100km、海面下24kmの地下に位置していたことが判明しました。
ここでの断層の破壊は、わずか約2分間という短い時間のうちに、日本海溝の海底にまで達しました。
また驚くべきことに、この過程で付近の地盤は東に50m以上も動かされたと推定されています。
そして、この断層破壊による海底の動きが巨大な津波を引き起こしました。
しかし震災発生から10年以上の時を経ても、地震時に日本海溝で何が起きたのか、その直接的・視覚的な観測は行えずにいました。
原因は水深でした。
この海溝の海底は、人の目に触れることのない水深6500mを超える超深海に位置しており、直接的に観察することが極めて困難だったからです。
日本が1989年に開発した深海探査艇「しんかい6500」はその名通り水深6500mまで潜ることができましたが、それ以上となると困難でした。
(※中年以降の人々の中には、子供向け科学雑誌などに掲載された「しんかい6500」の記事を覚えている人もいるでしょう)
一方近年では、他国において地球上のあらゆる深海底に到達可能な水深1万1000m の潜航能力(フル・デプス仕様)を備えた潜水艇が開発され、日本近海の探査にも使われるようになってきました。
実際、2022年に名古屋大学で行われた研究では小笠原海溝の最深部9801m(暫定値)に潜航し、日本人の最深潜航記録を60年ぶりに更新します。
そこで今回、新潟大学らの研究者たちは民間調査会社『Caladan Oceanic』で建設されたフル・デプス仕様を備えた潜水艇「リミッティング・ファクター号」を使用し、東日本大震災の震源域である宮城県沖日本海溝の水深約 7500m の海底を調査しました。
その結果、断層によって東に動いた地盤の先端が急激に約60m持ち上げられ、断層沿いに崩落したことにより、落差26mの断層崖(7~8階建てのビルに相当)が形成されたことが判明します。
(※このような崖はまず本震による変動が起きた後に、余震によって崩れて形成されると考えられています)
上の写真は断層崖の各ポイントを撮影したものとなっています。
また隆起からの傾斜角度を30~45度とした場合、海底では80~120mの滑りがあったことが示されました。
この数値は、これまでの推定を遥かに上回るものとなっています。
一般に内陸部でおこる地震で現れる断層崖の落差が数十センチから数メートルであることを考えれば、東日本大震災に伴うこの断層崖が破格の規模だったことがわかります。
(※一般に内陸部で発生する地震は、プレートの境界ではなくプレート内部の脆弱な領域で発生しするため、断層崖は比較的小さくなります)