話を聞く必要はない

こんなことをハッキリいえば、強い反発もあるかもしれないが正直、ノイジー・マイノリティは歓迎されない存在だと社会全体で認識するべきだろう。際限なく配慮し続ければ、全員で仲良く不幸になる。誰にでも耳を傾けるのではなく、一線を超えた感覚の持ち主の話にはそもそも傾聴する必要はないのだ。

役所に苦情を言い続けて公共施設を使いづらくさせる例から分かる通り、こうした人種の特徴としては相手が折れるまで際限なく騒ぎ続ける。そしてその目的は最大公約数的に社会を便利にするための進言ではなく、相手や多数派を力付くで屈服させることが目的化している。平和的な対話など望むべくもない。

マイノリティであることに罪はないし尊重されるべきだ。しかし、「ノイジー」であることは問題を起こす。

たとえば学校で一人の保護者が「うちの子は給食を食べるのが遅いので、他の子より食べる量を減らして構いませんか?」と理解を求めるのは問題ない。だが、「うちの子の食べる速度にあわせて、給食の時間を今の二倍に増やしてください」というのはおかしな話ということになる。しかし、このようなぶっ飛んだ形で権利を主張する人は、恐ろしいことに世の中に実在するのだ。

たった一人の生きやすさのために、その他全員の生きづらさをコストとして支払う。こんなものは個性の尊重でもなんでもなく、人権や多様性を盾にした単なる暴力でしかないだろう。

少数派を尊重するのは、あくまで社会全体の生きづらさや利便性を著しく損なわない前提あっての話だ。そんな当たり前のことが忘れられ、人権や多様性を武器に我慢させられているというのが生きづらさの正体である。今我々が感じている生きづらさとは、配慮した側からの逆襲なのだ。

 

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