嘗て日本経済新聞に掲載された記事、『「億ゲー」マイクラで学ぶ必修IT 子供の立場で創る価値』(23年7月13日)は、冒頭次の言葉で始められます――日本屈指のものづくりの町、大阪府東大阪市にまつわるニュース番組を1年以上前に見て、頭に残っていた言葉がある。同市にある企業が経営会議に大学生を定期的に招いて、参加させる内容の報道。その理由の言葉が「社会人になると、つい世間の手あかが付いてしまう。あえて世間を知らない大学生の意見を参考にする」だった。
私に言わせれば、社会人になると人が変わる、といったことはないと思います。言うまでもなく大学生の本分はあくまでも、朋友と切磋琢磨し、人格の陶冶と学識の錬磨に努めることです。また同じ大学生でも例えば、アルバイトで自分の学費を全額賄うような人や、起業したという人もいるでしょう。各人夫々に自分の立場というものがあるわけで、大学生と雖も世間を知らずして生きては行けません。
『中庸』に「君子は其の位(くらい)に素して行い、其の外(ほか)を願わず」とあります。いわゆる「素行自得(そこうじとく)」ですが、どのような環境であってもそれに応じ、自らを得るということです。之は自分の問題であり、社会人であろうが大学生であろうが、失う人は失っているし持ち続ける人は持ち続けています。君子というのは「貧賤のときは貧賤に素し、富貴には富貴に素し、夷狄には夷狄の境地に素し、患難に対処してもその境地にあって自得する」(安岡正篤)ものなのです。