海の底に沈んだ古代ローマの都市・バイア。
今月16日、伊カンピ・フレグレイ考古学公園(Campi Flegrei Archaeological Park)は、その水中遺跡にて、驚くほど良好な保存状態を誇る「大理石のフロア」を新たに発見したと報告しました。
フロアはまるで時が止まったかのように当時の美しさを留めています。
研究者らによると、このフロアは海を見下ろすように建てられていた上流階級の邸宅のポーチにあったものと話しています。
目次
- 富豪たちのリゾート地として栄えた「バイア」
- 富裕層の別荘にあった「大理石のフロア」を発見!
富豪たちのリゾート地として栄えた「バイア」
バイア(Baiae)は現在、イタリア南部・ナポリ湾の海底に水中遺跡として眠っています。
この地はかつて、紀元前100年から紀元後500年頃にかけて古代ローマの富豪たちで賑わったリゾート地でした。
ローマの富裕層が休暇を過ごすために訪れていた楽園であったため、別荘や邸宅、大浴場、神殿などが数多く建てられていたのです。
かの有名なカエサルや暴君ネロ、哲学者のキケロやローマ皇帝ハドリアヌスなどもバカンスに訪れていたことが記録されています。
バイアは紀元前100年頃に土地開発が始まり、ローマの共和国時代(BC509〜AD27)の後期になって富裕層のリゾート地として脚光を浴びるようになりました。
その後、海岸線に沿って並ぶ豪華な別荘群がバイアを代表する景観となっていきます。
それに加えて、地下の火山活動を利用した温泉やスパも人気の施設となり、癒しを求めた富裕層たちで賑わっていました。
ローマの詩人ホラティウス(BC65〜BC8)などは「この世でバイアに優る美しい場所はない」と書き残しているほどです。
しかし時が経つにつれて、バイアは金持ちたちが自らの欲を満たすための快楽主義的な場所に堕していきました。
ストア派の哲学者であるセネカ(BC1〜AD65)は、罪と悪徳にまみれたバイアを「避けるべき場所」だと避難しています。
人々が酩酊状態で街やビーチをさまよい、騒々しいどんちゃん騒ぎでバイアの秩序は完全に崩れていったようです。
バイアが海に沈んだのはなぜ?
バイアはのちに水中に没し、失われた海底都市となってしまいます。
その原因はこの地域で盛んだった「火山活動」にありました。
バイアの数キロ先には、AD79年にヴェスヴィオ火山の大噴火によって消滅した古代都市ポンペイがあります。
噴火当時、バイアは被害範囲に入っていなかったおかげで、火砕流などによる直接的な消滅の危機は逃れていました。
ところがこの地域は全体的に火山活動が活発であり、地震や海底の隆起、地盤沈下などが繰り返し起こっています。
その結果、3世紀頃には海岸線の建物が海に沈んでいき、8〜16世紀に再び火山活動が激しさを増す中で、バイアの大部分が海底に水没することとなったのです。
しかし海底に保存されたおかげか、今日に至るまで、バイアでは別荘や大浴場、広場、神殿、神々を彫刻した像が良好な状態でたくさん見つかっています。
バイアの水中調査は1941年に本格的にスタートし、考古学者たちは古代ローマ時代の貴重な遺物の数々を回収してきました。
そしてカンピ・フレグレイ考古学公園はこのほど、新たなバイアの遺物の発見に成功したのです。