1945年8月18日、日本がポツダム宣言を受諾し終戦となった8月15日からわずか3日後のその日、日本にとって予想だにしなかった出来事が起こった。日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に攻め入ったソ連兵が、北方の千島列島に突如として兵を送り込んできた。それは、スターリンが北海道の北半分を掌中に収めようという計画によるものだったのだ。
この時、火事場泥棒的に攻め入ったソ連軍と戦いながらも、勝利を収めた日本の兵士たちが存在していた。彼らの勇気により、日本列島に対する大きな侵食は止められたと言えるだろう。この時に戦闘が行なわれたのは、千島列島の北東端に位置する占守(しゅむしゅ)島と呼ばれる島であり、「占守島の戦い」と呼ばれている。
この時、北海道と南樺太そして千島列島を担当した札幌の第5方面軍では、陸軍軍人である樋口季一郎が司令官を務めていた。樋口は、軍内でも随一のロシア通として知られていた人物であったが、そんな彼はソ連・スターリンの思惑に早くも気付いていたという。終戦直後にソ連軍が攻め入って来た際には、終戦の証書が出されたにも関わらず大本営の停戦命令を無視して即座に独断で自衛戦争を指揮することを決意した。
ここでもう一人忘れてはいけない人物こそ、池田末男大佐の存在だ。樋口の命を受けて主力となった戦車第11連隊は、アメリカ軍がアリューシャンを経由して来襲してくることを想定して備えられた先鋭揃いの部隊であった。第11連隊「十一」という字から「士」と合字させ「士魂部隊」とも呼ばれていたこの部隊を率いていたのが池田であった。
池田は、「戦車隊の神様」とまで称された人物であった。出撃の際、彼は部下たちへ「赤穂浪士のように恥を忍び後世に仇を報ずる」か「白虎隊となって民族の防波堤となるか」を問い、赤穂浪士を選ぶ者は一歩前へ出て、白虎隊を選ぶ者は挙手するよう言った。戦争は終わり、帰郷を心待ちにしていた部下たちであったが、そこでは全員が挙手をし池田と共に出撃することに応じたという。
果たして戦闘は熾烈を極めたものの、21日の停戦までの実に4日間、日本側は800人ほどの死者を出す一方、ソ連側は3000人もの兵が戦死したという。池田の統率力によって、圧倒的な差をもってソ連軍を撃退することに成功したといえるだろう。だが池田は、停戦後に焼けた戦車の中で壁面にもたれた姿勢で亡くなっているのが発見されたという。
樋口の迅速な決断と指揮、そして池田の部隊統率により北海道侵攻は阻止された。だが、日本が敗戦国となったことは揺るがない事実であり、日本の兵士たちがソ連の捕虜となりシベリア抑留となり、また北海道を断念したスターリンが南樺太の舞台を択捉島に向かわせ、国後島、色丹島、歯舞諸島を無血占領したことにより、現在も残り続ける北方領土問題へと連なっていく。
少なくとも、占守島の戦いは日本がドイツのような分断国家となってしまうか否かの重大な戦いであったことに違いは無い。終戦が宣言されてなお、北方の地で戦闘が行なわれたという事実を忘れてはならないだろう。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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