アサクリ問題が、意外な展開を見せてきた。「黒人侍」を最初に海外に売り出したのは外務省だった。

弥助がモザンビーク出身という根拠はない

2018年の在モザンビーク大使、池田敏雄氏のあいさつには、こう書かれている。

1581年イタリア人宣教師ヴァリニャーノは織田信長に謁見した際に,従者として連れていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人はモザンビーク出身であり,信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられます。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。

これはロックリーの『信長と弥助』をもとにしていると思われる。まず弥助がモザンビーク出身だというのはロックリーの想像で、何の根拠もない(最近は南スーダンと言っている)。外務省はカメルーンでも「弥助展」をやり、外務省の職員が弥助の説明をしている。