古代ローマで活躍したグラディエーター(剣闘士)は、世界史の中でも人気の高いトピックです。
2000年には同名のタイトルで映画化され、今年11月には待望の続編である『グラディエーター2』の公開も控えています。
ローマ民衆の最大の見世物であったグラディエーターについてはこれまで、さまざまな伝説や逸話が言い伝えられてきました。
中でも特に奇妙なのが、グラディエーターの血や汗を媚薬や万能薬として使っていたというものです。
現代の感覚からするとありえない話ですが、どうして当時のローマ人たちはそのような奇行を取ったのでしょうか?
グラディエーターの歴史とともに振り返ってみましょう。
目次
- 剣闘試合は「故人の追悼会」として始まった
- グラディエーターの血や汗が「万能薬」に!
剣闘試合は「故人の追悼会」として始まった
グラディエーターは、古代ローマの見世物として闘技場で戦った剣闘士たちです。
その名前の由来は、彼らがローマ軍の主要な武器であった「グラディウス」という短剣をよく使っていたことから来ています。
グラディウスは刃渡り約50センチで、柄を入れても70センチほどしかなく、剣としては短いものです。
しかし頑丈で鋭い切れ味と、使い勝手の良さから戦闘には重宝されました。
一方でグラディエーターがいつ誕生したのか、その正確なルーツはわかっていません。
一説では、南イタリアのカンパニア地方が起源であり、紀元前4世紀の墓の壁画に試合をする剣闘士の姿が描かれています。
記録としてちゃんと残っている最も古い試合は、紀元前264年のものです。
このときの試合は有力な兄弟が父の葬儀に際して行ったものでした。
これを受けて、初期の剣闘試合は亡くなった人を哀悼するための「追悼闘技会(ムヌース)」として広まっています。
大衆を熱狂させる「見世物」へ!
その後、ムヌースはより大規模なものへと変化していき、やがて故人の死を悼むものから民衆のための世俗化した見世物となっていきます。
ローマの大衆は剣闘士たちの試合に熱狂し、主催者である政治家にもっと闘技会を開くよう要求するようになりました。
また当時の共和政ローマは領土を拡大するにつれて、大量の戦争捕虜を手に入れ始めます。
ローマ人はこの捕虜たちを剣闘士に仕立て上げて、殺し合いのゲームに参加させたのです。
帝政ローマ時代の西暦80年には、大都市ローマに5万人を収容できる、かの有名な「円形闘技場(コロッセウム)」が完成しました。
その落成を祝して大規模な闘技会が開催され、グラディエーター同士の試合や野獣狩り、人工池を用いた模擬海戦が行われました。
闘技会は100日間にわたって続き、たった一日で5000頭の猛獣たちが殺されたと記録されています。
いよいよ闘技会の熱狂は絶頂に達し、多くの人々がグラディエーターとして戦闘に駆り出されるようになりました。
グラディエーターとなる者の大半は戦争捕虜や奴隷市場で買い集められた者たちで占められ、犯罪者も闘技場に送られることがあったようです。
何らかの理由で自由民が志願するケースもありましたが、その割合は少なく、剣闘士10人のうち1〜2人程度だったそう。
グラディエーターは基本的に最下層の人物として蔑まれましたが、試合に勝ち続けることで富と名声を得ることができました。
成功したグラディエーターたちはその勇敢さや強靭さから、市民にとっての理想的なヒーロー像となっています。
こうしたグラディエーターを英雄視する風潮の中で、彼らの血や汗を重宝がる奇怪な慣習が現れ始めるのです。