笹ヶ峠(ささがとうげ)は、愛媛県松山市の高縄山、北条市との境に存在する峠である。ほんの十数年前までこの峠は、死入道(しにゅうどう)峠という一見すると非常に不気味な名で呼ばれていたとされており、現在では心霊スポットの一つとして広く知られている。同市には同じ名前の峠が県道17号、204号と2ヶ所存在しているが、ここで取り上げるのは17号(北条玉川線)の方である。
姥捨て山伝説は日本各地に存在しているが、この峠のある高縄山も同様に、かつて江戸時代の頃は口減らしのために老人を山へ捨てに行ったと言われている。老人を捨てに行くために通る道であったことから「死へ入る道」と書き、死入道という名が付けられたと言われている。
また、峠で通じている北条市、高縄半島の北西部の山間地域には「儀式」という地名が残っている。かつて「祇式」と表記されていたというこの場所は、姥捨ての際に何らかの儀式が行われていたことに由来して付けられた地名であるとの噂もある。
名前のインパクトも手伝ってか、老爺・老婆の幽霊そして女性の幽霊が出るといった心霊スポットとしても知られている。姥捨て山であったということから老爺・老婆であればまだわかるが、一体なぜ女性の幽霊と言われているのか。なんと、この死入道峠は実際の事件の現場にもなったことがあるのだ。
2009年2月9日。当時21歳の女性の他殺体が峠付近の山中で発見された。犯人は、県内の老人ホームで介護員をしていた23歳の男性であり、両者は出会い系サイトで知り合ったのだという。だが、ドライブ中に口論となったことで男性は女性の首を手で絞めて殺害、その後山中へ死体を遺棄したというのだ。心霊情報の中に、女性の幽霊が出るとあるのはこの事件が原因だと思われる。
だが、この死入道峠については心霊スポットとして見なされていることに反論も多い。前述した2009年の事件は確かに発生したものではあるものの、姥捨て山であったという証拠は特に見られないのだ。なお、高縄山はかつて戦国時代に高縄城が河野氏によって築かれていたが、豊臣秀吉の命で伊予を侵攻した小早川隆景によって山系の諸城もろとも陥落した。姥捨ての因縁というよりは、むしろ合戦の地であったと言って良いだろう。
では、姥捨て山ではないとすればなおさら死入道と呼ばれることが気になるところであるが、実は「荷物を背負っての峠の上り下りが死ぬほど苦しい」という理由から死入道と名付けられたとの説があり、死の字を嫌って「紫入道」「四入道」の字をあてたこともあったという。
さらに、死入道峠は旧道にある峠のことであり現在の笹ヶ峠とは全く別の場所だという元も子もない指摘もある。こうしてみてみると、心霊スポットとしての死入道峠は、その名前のインパクトから地元以外の人々によってイメージだけで拡散し形成されていった虚構である可能性がきわめて高いだろう。
因みに、「儀式」という地域は江戸期から明治にかけて正式に村と称されていた記録が残っている。上記のことから、少なくとも姥捨て山とも関係ないものであると考えるのが妥当だろうが、なぜそのような意味深な地名になったかについては定かではない。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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