弥助は「侍」だったのか

もう一つの問題は、奴隷ほど自明ではない。ヴァリニャーノが信長に黒人を献上品として贈ったことは『信長公記』などにも書かれている史実であり、信長が黒人を彌助(異本では彌介)と呼んだことは疑いないが、その身分は奴隷ではなかった。

弥助が大活躍したのは、本能寺の変である。明智光秀が本能寺を1万3000の軍勢で奇襲攻撃したとき、信長の身辺には30人程度の護衛しかいなかったので信長は切腹した。弥助は本能寺を脱出して二条城にいた嫡男、織田信忠のもとに駆けつけたが、信忠も切腹した。その後の弥助の消息はわからない。

本能寺の変(揚洲周延・画)

問題は弥助がどういう身分だったかである。『信長公記』には短刀と屋敷を与えられ「道具持ち」をしていたという記録があるので、ボディガードのような仕事だったと思われる。これを侍(上級武士)と呼ぶかどうかは定義の問題である。

江戸時代の侍は苗字帯刀が条件だったので、家名(苗字)のない侍はありえない。戦国時代には武士と農民は未分化だったので、侍の定義はもっと広いという人もいるが、家名のない侍というのは考えにくい。

世界に「黒人奴隷デマ」が拡散するのは要注意

これは大した問題ではないが、ロックリーは「黒人奴隷が信長に抜擢されてトップに成り上がった」という物語に仕立て、BBCやCNNもそういう「歴史上の新発見」として報道した。NHKもBlack Samuraiという90分のドキュメンタリーをBSで放送した。

この番組の監修者はロックリーで、彼の本をベースに話が展開している。弥助の存在は昔から知られていたが、彼を侍と呼んだ史料はない。苗字のない人物を侍と呼ぶことは考えられないからだ。しかもこの番組では多くの黒人の話を合成し、加藤清正の家臣(別人)まで弥助にしている。

この程度の歴史の偽造はNHKの歴史番組でもよくあることだが、「黒人奴隷が黒い侍になった」というロックリーの物語が今後、ハリウッドやブロードウェイで上演され、日本では黒人奴隷が流行していたというフェイクが拡散すると、それが悪用される可能性もある。

ロックリーは吉田清治みたいなものだ。彼の小説も荒唐無稽で日本人はバカにしていたが、朝日新聞が取り上げて韓国の自称元慰安婦がデマを拡散した。白人は土地勘がないから、アトキンソンのように嘘を信じてしまう。外務省も注意が必要である。