1963年3月31日、東京都台東区で身代金目的の誘拐殺人事件が発生した。当時4歳であった男児の名を取って「吉展ちゃん事件」などと呼ばれるこの事件は、センセーショナルな事件として国民の関心を集めたことにより、戦後最大の誘拐事件などとも称されている。報道協定が初めて結ばれた事件でもあり、さらにテレビやラジオで犯人の音声が公開されるといった、メディアを通じた捜査協力の呼びかけがなされたことも大きな特徴となっている。

 その日、公園で一人遊びに行った吉展ちゃんがそのまま行方不明となり、当初両親は迷子として警察へ通報した。しかし、事件発生の翌日にある男性が吉展ちゃんと一緒にいたという目撃情報があったため、誘拐事件の可能性があるとされ捜査本部が設置された。

 この誘拐事件の犯人は、小原保という人物であった。当時小原は吉展ちゃんに声をかけ行動を共にしていたのだが、幼い頃の凍傷の影響で足を引きずって歩くようになってしまったその姿を吉展ちゃんに指摘され、このまま帰したら親に特徴を話され逮捕されるのではないかと考えた。なんと、小原はその直後に吉展ちゃんをベルトで絞殺、寺の境内に埋めてしまったのだ。

 4月6日、1度目の身代金受け渡しの機会があったものの、小原は警察の張り込みを警戒し現れることは無かった。その翌日、今度は吉展ちゃんの自宅からわずか300m離れた自動車販売店に身代金を置くよう指示が入った。しかし、この時いくつものミスが生じていたのだ。

 吉展ちゃんの母親が車で出発する際、警官が「まだ待て」という意味で手を挙げたその合図を「行け」と勘違いしてしまい、警官たちの準備が整う前に現場へ向かってしまったのだ。また、警官は小原が身代金を置くよう指定した車とは別の車を見張っており、それに気づいたのは1時間以上経ってからという失態を犯していたのであった。さらには、用意した現金のナンバーを控えるのを怠っており、手がかりが全く得られなかった。

 身代金を持ち去られて以降小原からの連絡が途絶えたため、電話を録音した際の音声をテレビやラジオで公開することとなった。だが、ここでも小原の実年齢(30代)とは異なる40~50代という想定が報道で取り上げられてしまったことで、異なる犯人像が世間的に広まってしまった。その後、別件で逮捕され収容されていた小原に対し誘拐事件の事情聴取が行なわれ、ここで小原が犯行を自供することとなった。発見された吉展ちゃんの遺体は、すでに白骨化していたという。

警察による失態の連鎖…戦後最大の誘拐事件「吉展ちゃん誘拐殺人事件」
(画像=円通寺のよしのぶ地蔵 画像は「Wikipedia」より,『TOCANA』より 引用)

 この事件が世間に与えた影響は大きく、事件から2年後に「かえしておくれ今すぐに」(1965)というこの事件をテーマにした楽曲が発売されるほどであった。もっとも衝撃的であったのは、小原の母親の自殺であった。残された遺書には吉展ちゃんの両親への謝罪と共に「保よ、お前は地獄へ行け。わしも一緒にいってやるから」などと綴られていた。

 本事件の直前に発生した「雅樹ちゃん事件」や事件後に発生した「狭山事件」と共に、警察による失態が連鎖的に発生した事件の一つとしても語られる吉展ちゃん誘拐殺人事件。この事件により、「知らない人についていってはいけない」という決まり文句が定着したとも言われている。日本の誘拐事件において、もっとも社会的な影響を与えた事件であったと言えるだろう。

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文=黒蠍けいすけ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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