長崎県長崎市の西におよそ19キロメートル沖合に浮かぶ端島(はしま)は、かつて明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えた島である。面積6.3ヘクタール、外周1.2キロメートルほどの大きさでありながら、日本で初めて鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建造され、多くの人々が住まうこととなった。島のその見た目が1921年当時に建造中であった日本海軍の戦艦「土佐」に似ていたことから、「軍艦島」という呼び名で今日に至るまで浸透している。

 一時は東京都の9倍もの人口密度を誇っていたと言われている軍艦島には、共同浴場、学校、パチンコ店や映画館までもが備わっていた。だが、炭鉱衰退によって徐々に人口は減っていき、1974年に閉山したことで無人島となり、廃墟だけが残る島となってしまった。また、2015年に世界遺産へ登録されたことによって一般の立ち入りが禁止され、現在はツアーなどによって特定の見学ルートのみの立ち入りが許されるに留まっている。

 軍艦島は、心霊スポットとしての呼び声も高い。立ち入りが禁じられるより以前は、島内を探索するような人々も多く、そのような中で「どこからともなく声がする」「キャンプ中にメンバーが行方不明になった」といった体験などが聞かれている。「心霊写真が多く撮れる」とも言われており、毎回ではないにしろかなりの確率で霊が写真に写り込んでいるという話もある。

 以前、Google Earthのストリートビューにて謎の手が写り込んでいるとして話題となったこともある。これについては、撮影者の手がたまたま写り込んでしまったという意見が有力視されているが、このような例ですらも心霊の雰囲気を高めるには十分すぎるほどであった。また、村系都市伝説でも時折見られるような、「住民たちがある日突然消えた」といった噂もあるそうだが、軍艦島についてはそのような事実はない。

世界遺産にもなった「軍艦島」が心霊スポットと呼ばれるようになった理由
(画像=Hisagi (氷鷺) – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる,『TOCANA』より 引用)

 このような、心霊的な噂が絶えない一つの理由として、軍艦島の歴史が関係しているのではないかとも言われている。軍艦島は、日本人だけでなく中国人や朝鮮人が強制的に労働させられた場所であるとも言われており、その労働の過酷さから「監獄島」とも呼ばれ、拷問などを受けていたといった話や、海に飛び込み泳いで脱走しようとした者、自殺をする者もいたというような話もある。

 ただ、この情報に関しては一方で「強制労働の事実は無かった」という当時島民であった人間の証言もみられるといい、韓国人用の遊郭も備わっていたという話がある。この主張については、日本側の主張と韓国側の齟齬という点が大きいだろう。

 このほか、1927年には大規模な粉炭墜落によって数人が死亡し、1939年には大規模なガス爆発も発生し数十人が死傷しているという出来事については、紙面において明確に記されている。こうした炭鉱という環境下における事故の数々も、心霊スポットという位置づけをより濃厚なものとしていることは想像に難くない。

 因みに、心霊現象ということではないが軍艦島のストリートビューにおいて、2013年ごろ、軍艦島のとある廃墟の壁に「エビフライ」が突き刺さっているという話が話題となったことがある。この壁に刺さったエビフライは、周囲の壁に比べると色も明るくまさにエビフライそのものの配色と形状をしており、見る位置を変えると見えなくなってしまうなんとも珍妙な存在であった。壁の模様ではないかということで落ち着いてはいるようだが、恐ろしい雰囲気を醸し出す軍艦島には似つかわしくない、なんとも愉快な怪現象であったと言えるだろう。

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文=ZENMAI(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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