富安俊助(とみやすしゅんすけ)は、零戦に搭乗した特攻隊員の一人であり、いかなる敵機の攻撃からも生還した米軍空母エンタープライズ( CV-6)をたった一人で大破させた人物である。22歳という若さで帰らぬ人となったが、 その並外れた操縦技術と攻撃の凄まじさに米軍からも称賛され、カミカゼの中でも「神聖な風」とまで呼ばれた。小説・映画作品『永遠の0』 の主人公宮部久蔵のモデルになった人物の一人とも言われている。

 大正11年に長崎で生まれた富安は、頭脳明晰でスポーツも万能な少年であった。昭和18年3月に早稲田大学経済学部を卒業し満州で働いていたが、戦局悪化に伴って同年9月に土浦海軍航空隊に入隊する。その後、つくば海軍航空隊で零戦搭乗員としての訓練を受け、翌年5月には海軍少尉となり、松山航空隊から岡崎航空隊に転任して中尉へ昇進した。昭和20年3月には再び筑波航空隊に配属となり予備学生の教官となっていた。

 そして、3月28日に「機密航空命令第15号」が発令となり、富安は特攻隊長の一人として指名されることとなる。

 5月14日の午前5時30分には500キロ爆弾を装着させた零戦52型に搭乗し、富安を第六筑波隊長として計26機の特攻隊が鹿児島県鹿屋基地か ら出撃した。500キロ爆弾などを搭載した零戦は、通常「爆戦」と呼ばれて爆撃や特高で使用されていたが操縦が極めて難しく、鹿屋基地で特攻命令が下った際には、離陸が難しく出撃だけでも相当が技量を要すると搭乗員から懸念さ れていた。エンジン出力を全開にして離陸しても速力がなかなか上がらず、 飛行場いっぱいを這うようにしてもなかなか浮上しなかったという。

 彼らの標的は、沖縄攻略のために近づいていた米軍大艦隊であり、早朝に出撃した26機の筑波特攻隊は、エンタープライズを含む空母部隊を目掛けて飛び立った。エンタープライズは、太平洋戦争中の主な海戦のほぼ全てに参加していた航空母艦であり、大小15回もの損傷を受けながらも高いダメージコントロールから 撃沈を防いで対戦を生き抜き、「ビッグE」 の愛称で親しまれていた。幾度も特攻の標的にもなりながら生き残り、また大本営発表によって9度もの(虚偽の)撃沈発表がなされた、まさしく不死身の航空母艦だったのだ。

 米軍大艦隊に接近した26機であるが、集中砲火の弾幕によって6機は撃墜、上空に待ち構えていた哨戒機「ヘルキャット」の迎撃編隊によって19機が撃墜されてしまった。この激しくも完璧な迎撃戦に米軍は全機を撃退したと安堵した。だが、実はたった1機、富安の乗る機体だけが激しい弾幕を掻い潜って生き延びていたのだ 。彼は、上空に雲隠れしながらときおり雲の切れ間から見下ろし、エンタープライズの位置を確認していたのだ。これに気付いたエンタープライズ側であるが、厚い雲にさえぎられて攻撃することができずにいた。

 午前6時56分、ついに富安の乗る機体がエンタープライズに向かって突撃してきた。これに対しエンタープライズは、効果的な防御態勢を取るために大きく舵をきって船尾を向けたが、実はこれこそ富安が狙っていた瞬間であった。集中砲火を浴びせられる中で零戦は緩やかに降下しながら機銃を発 射、エンタープライズ側もありったけの対空砲火を打ち上げたが、 零戦は機体を横滑りさせるなど、自在に弾幕の中を降下していった。艦隊からは「 一発も当たらないとはどういうことだ」「あれは化け物か」 といったパニックとも思える声が上がったという。

 そして零戦は、船尾に差し掛かった時に機体を急上昇させ、上空で180度の左旋回をして背面飛行を見せた。そのまま、対空砲には唯一の死角であった真上からの全速力で急降下し、艦載機専用の前部エレベーターに激突した。その衝撃は、甲板前部の第1エレベーターをおよそ120メートル上空へ吹き飛 ばしたほどであり、エンタープライズは大きく空いた穴から浸水、 そして大破炎上したのだ。幸運にも戦死者13名にとどめたエンタープライズであるが、 これ以上の艦隊作戦は不可能という判断が下され、 戦線離脱したまま終戦を迎えることとなった。

 富安のこの攻撃は、米海軍から「これまで日本海軍が3年かけてできなかったことを、たった一人で一瞬のうちにできた」と高く評価された。彼の遺体は、奇跡的にエレベーターホールから発見され、戦死した13名のクルーとともに最敬礼の丁重さで水葬されたという。その後、彼の棺ともなった零戦の破片、さらに2020年には富安の飛行服から発見された50銭札がそれ ぞれ富安の遺族に返還された。

 特攻については、人により様々な印象が持たれており、特に人命軽視の非情な戦術と見る人も多い。だが、「必ず立派な戦果を挙げる覚悟です」「御国の興廃存亡は今日只今にあります。我々は御国の防人として出ていくのです」 と富安が遺書に綴っているように、現在とはまるで違う当時の実情や背景そして人々の思いというものがあったのも確かである。このような時代があり、このような人物がいたということは忘れないでおきたい。

【文 ナオキ・コムロ】

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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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