ジャマイカに、サフィーラ・モノというレゲエ歌手がいる。
現地では有名らしく、2020年に「タンバック・ブロー」というタイトルのシングルを発表した。ところがこれがジャマイカでかなりの物議を醸し、その後、彼女の夫が殺害されたり、彼女自身が他の歌手から呪われるといった事件が続発した。
その原因は、彼女のシングルがジャマイカ社会のタブーであるオービアを扱っていたからである。
オービアとは、ジャマイカだけでなく、バハマやバルバドス、ドミニカ、トリニダート・トバゴなど、英語圏のカリブ海諸国で行われている魔術を総称する言葉であり、モノが新曲のタイトルに用いた「タンバック・ブロー」という言葉自体、オービアにおいて、自分にかけられた呪いをかけた相手に投げ返す、いわゆる“呪い返し”の呪法を意味する。
オービアについては、日本のカリブ地域専門家を結集して執筆された『カリブ海世界を知るための70章』(明石書店)でさえ一切触れていないが、日本における超常現象研究の草分けの一人である故・中岡俊哉は、1972年の『心霊の四次元』(大陸書房)において、ジャマイカの「オービ魔法」としてその存在を紹介している。
カリブ海諸国に伝わる魔術としては、ハイチのヴードゥーがよく知られている。
ヴードゥーは、西アフリカの黒人奴隷たちが持ち込んだ部族信仰に、支配層であった白人のキリスト教の要素や心霊主義が吸収され、混淆する形で発展した一種の民間信仰である。
ヴードゥーにおいては、ロアと呼ばれる精霊、死霊の信仰が中心となり、ローマ・カトリックの聖人と同一視されるものも含め、多くの神が崇拝される。儀式はウンガンと呼ばれる神官が主宰し、通常深夜に執り行われる。儀式では歌や踊り、太鼓のリズムの中、恍惚状態になった参加者にロアが憑依し、さまざまな託宣を下すのだ。
ウンガンは、心身両面の病気や長期にわたる不運や夫婦喧嘩、財政問題など、信者たちが持ち込むありとあらゆる相談に応じ、ハイチではこうしたウンガンを中心に、行政区画とは別のコミュニティのようなものが形成されているという。
ウンガンは信者の相談に応じ、占いを行ったり、否定的な影響を除いたり、時にはかけられた呪いを解消したりもする。
他人に呪いをかけたり、生きた死人ゾンビを生み出したりする邪悪な魔術師もおり、こちらはボコールと呼ばれるが、実のところウンガンとボコールの区別は明確ではなく、同一人物がその行為によってウンガンと呼ばれたりボコールと呼ばれたりすることもあるようだ。
ヴードゥーは、今やアメリカにも広まっており、ゾンビは数多くのハリウッド映画の主役となっている。そこでヴードゥーという言葉も、西インド諸島の魔術的信仰全般に対して用いられることがある。
しかし、ハイチがフランスの植民地であったのに対し、ジャマイカをはじめとする英語圏カリブ諸国の魔術は、現地ではオービアと呼ばれている。
オービアという名称の起源については諸説あるが、いずれも、西アフリカの特定部族の言葉に求める点では共通している。つまりオービアも、ハイチのヴードゥーやブラジルのマクンバと同じく、アフリカから持ち込まれた土俗信仰が持ち込まれ、独自の発展を遂げたものと考えられる。
オービアの術者はオービアマンと呼ばれ、彼等は薬草による治療や占いを行ったりする傍ら、毒薬を調合して相手を病気にしたり、呪いをかけたりもする。19世紀のバルバドスの宣教師が書き残したところによると、オービアマンたちは超自然的存在を呼び出したり、悪魔と交信したりすることもでき、黒人奴隷達はオービアマンを頼ることもあるが同時に恐れてもおり、彼等の呪いで怪我をしたり殺されたりすることがあると信じていたという。
当然オービアは邪悪なものと考えられ、カリブ海諸国のほとんどはこれを犯罪とし、死刑または国外追放という重罰が科されていた。つまりは、支配層である白人もオービアをひどく恐れていたということであろう。
こうした諸国でオービアを罰する法律が廃止されはじめたのは1980年以降のことであり、最近では新聞にオービアマンの広告も載るようになった。しかし、こうしたオービアマンの宣伝を見ると、多くは占い師に毛の生えたようなことを行っているようである。
他方ジャマイカでは、オービアはいまだに犯罪とされている。
ジャマイカでオービアが禁じられたのは、1760年のタッキーの反乱が原因であった。
ジャマイカでは歴史上何度も大規模な奴隷反乱が起きているが、タッキーの反乱は指導者の名がタッキーだったのでそう呼ばれる。
タッキーは現在のガーナから連れてこられたアカン族の奴隷で、現地では族長だったらしい。反乱の企ては、ジャマイカ全土のアカン族奴隷の間で密かに練られ、1760年4月7日復活祭の月曜日、奴隷たちはいくつかの農場を占拠して白人農場主を殺害した。この最初の成功に刺激され、タッキーの元には大勢の奴隷がはせ参じ、他の地域でも別の指導者に率いられた反乱が続発した。植民地政府がこうした反乱を完全に鎮圧するには翌年までかかった。
このタッキーの反乱にはオービアマンたちも加担し、自分達が処方した秘薬を用いれば戦闘で傷つくことはないと主張して、奴隷達を鼓舞した。もちろん彼等の薬にそんな効果はなく、それを知った奴隷達は彼等を殺し、タッキーも最後には処刑されたが、その直後からジャマイカではオービアが犯罪とされ、現在に到る。
ところが、民衆レベルではかなり公然とオービアが行われており、人々は運勢を占ってもらったり、誰かに呪われたと感じたときはそれを解いてもらったりなど、密かにオービアマンに頼っているらしい。
オービアは、かの有名なセイラムの魔女裁判にも、間接的に影響しているようである。
セイラムの魔女裁判はアメリカ合衆国史上最大の魔女裁判とも呼ばれ、1692年2月にマサチューセッツ州セイラム村(現在はダンヴァーズ町)で発生した。
このとき、村に住む数名の娘たち、村の司祭であるサミュエル・パリスの娘エリザベス・パリス、その従姉アビゲイル・ウィリアムズ、村の有力者トマス・パットナムの娘アン・パットナム他、数名の娘たちが奇妙な行動をとりはじめた。奇妙な言葉を発しながら家の中を走り回ったり、痙攣しながら姿勢で地面に倒れたり、突然暴れ出したりし始めたのだ。
地元の医者が調べたところ、少女たちに肉体的な異常は見られなかった。そこでサミュエル・パリスをはじめとする大人たちは、少女たちが悪魔に取り憑かれたものと考えた。
大人たちに追求された娘らは、自分たちに魔法をかけた魔女として、パリスの奴隷であるティチューバ、それに2人の老女サラ・グードとサラ・オズボーンを魔女として告発した。
捕らえられたティチューバは拷問を受けた結果、自ら罪を告白し、少女たちは次々と村人を魔女として告発した。その結果、最終的には150人近くが逮捕された。
事件当初、セイラムを含むイギリス植民地では総督が不在となっていたので、裁判はウィリアム・フィップス総督がボストンに着任した5月になってから開始された。魔女裁判のための特別法廷が設けられ、副総督ウィリアム・ストートンが判事に任命されたが、少女たちは法廷で何者かが悪魔を送って自分たちをつねっていると述べたり、突然地面を転げ回ったりしながら、自分たちを苦しめている者をその場で名指しした。ストートンはほとんど少女たちの証言のみに基づいて逮捕者を次々に有罪とし、最終的には19名が絞首刑となり、1名は拷問中死亡、5名が獄死するという大事件となった。
しかし10月になると少女たちの証言に疑問を抱く者も増え、フィップス総督自身も裁判のやり直しを命じた結果、1693年5月になって収監者全員が恩赦により釈放されて事件は終結した。
この事件は現在では、典型的な集団ヒステリーの事例として引用されることが多く、アメリカの黒歴史の一つともなっている。少女たちの一人アン・パットナムが14年後に、自ら偽りの証言をしたと認めていることからも、事件に根拠がなかったことは明らかとなっている。
少女たちの悪ふざけがこれほどの大事件に至った背景には、当時植民地を支配していた清教徒の終末論的な世界観や、総督が不在であったというような政治的要因、さらにはセイラム村内部での人間的確執などが指摘されている。
他方、最初に魔女として名指しされたティチューバが、彼女らに西インド諸島に伝わる魔術の話をし、このことが少女たちを奇妙な行動に駆り立てる原因になったとも言われている。
ティチューバは黒人奴隷とされることもあるが、実際は南米原住民の血筋らしく、バルバドスで生まれ育ったとされている。じつはサミュエル・パリスはセイラムに来る前に、一時バルバドスで農場を経営していたことがあり、その時からパリスに使えていたのがティチューバなのだ。
ティチューバが本当に魔術の知識を持っていたのかどうかは不明だが、もし何らかの知識を持っていたとすれば、バルバドスでオービアと呼ばれる系統のものであったろう。
なお、カリブ海のフランス領グアドループに生まれた女性作家マリーズ・コンデは、ティチューバを主人公とする小説『わたしはティチューバ』(新水社)において、ティチューバのことを、死者の霊を呼び出したり他人の病気を治したりできる魔術師として描いているが、こうした魔術もオービアで実際に行われていることを反映しているのかもしれない。
※当記事は2021年の記事を再編集して掲載しています。
文=羽仁礼
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提供元・TOCANA
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