私は「グローバル・サウス」という概念が好きではない。端的に言って、グローバルなサウスなどというものは存在していない。それなのに概念に惑わされると、ろくなことにならない。
グローバル・サウスという概念は、思想運動の中で存在している。その含意の中心は、「ポスト・コロニアル」な世界観を持つ、脱植民地化を果たした旧植民地国の思想的態度、のことだ。だがそれを、実体性のある何ものか、と捉えるべきではない。
国際政治経済において、欧米諸国が中心となった仕組みは、溶解している。また、欧米以外の地域は、文化面のみならず、政治力・経済力だけをとってみても、諸国間に甚大な差がある。それなのに「先進国である欧米諸国のノース」の存在を大前提にして、「それ以外の地域を十把一絡げにまとめて全部一緒に扱うサウス」を固定的に考えるのは、やめたほうがいい。
より具体的には、中国やインドの国際政治における存在感を、「グローバル・サウスの台頭」といった見方で捉えることには、もはや何ら妥当性がない。別の見方から言うと、いまだ経済成長もせず、停滞している諸国も、世界には多数ある。
以下の図は、過去2000年の世界経済における主要国のGDPシェアを経済史家がまとめたものである。これを見ると、中国とインドが超大国として存在する世界こそが、むしろ世界史の常態であることがわかる。欧州の小国が、世界経済で大きなシェアを持っていた過去200年ほどの時代は、逸脱した異常な時代であった。