大東亜戦争の開戦が決定されるまでのプロセスには、未だに多くの謎が残されています。
よく聞くのは、開戦当時の首相だった東條英機に最大の責任があるという主張です。実際にも、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、東條は「A級戦犯」として死刑を執行されました。
しかし、A級戦犯の指定は、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、国会議員の満場一致による決議で、1956年までに全員が解除され、名誉を回復しています。よって、この主張は論理的におかしいことになります。
東京裁判の記録の中で、私が特に興味をそそられたのは、東條首相は、真珠湾攻撃に向かう艦隊の出撃を「事後」に知ったという証言です。そもそも、当時は陸海軍の統帥権は政府から独立しているとされ、首相には真珠湾攻撃という海軍の作戦を承認する権限がないとのこと。
現在の平和な日本でさえ、首相が陸海空自衛隊の「最高司令官」です。最高司令官が作戦を把握不可能で、総合調整も指示もできないことは、論理的にも組織論的にあり得ない。やはり、東條首相が開戦の全責任を負うべきだ、という主張は成り立たないでしょう。
前述したように、日本が主権を回復してまもなく、東條のA級戦犯の指定が解除されたことは、このことを象徴的に示しています。
(前回:「空気の研究」の研究:大東亜戦争の終戦は「空気」で決まったのか?)
行動経済学を使って開戦の謎を考えるここでは、行動経済学の「プロスペクト理論」で考えることにします。この理論による大東亜戦争開戦の研究では、牧野邦昭氏の労作『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(2018年)が有名です。
プロスペクト理論というと難しいようですが、直訳すると「将来の見通しについての理論」ということになります。牧野氏は、なぜ大東亜戦争開戦という非常にリスクが高い選択が行われたのかを、次のように説明しています。
筆者は現時点では、逆説的ではあるが「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が逆に「だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない」という意思決定の材料となってしまったのだろうと考えている。それはどういうことなのだろうか(以下、A. S. Leviと G. Whyteの研究を参考にしている)。
牧野氏は、次の表にあるように、1941年の日本には、次の2つの選択肢があったとします。
開戦しない場合、2~3年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈服する。 開戦した場合、非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く「ドカ貧」になる。しかしながら、非常に低い確率ではあるが「勝利する可能性」も残されている。プロスペクト理論では、人間は損失回避を優先する傾向があるため、わずかでも勝利する可能性が残されているBを選択したとします。
ところが、現実のデータを使い、いくらプロスペクト理論で計算した数値をいじっても、開戦が有利という結果は得られないのです。これはちょっと意外でした。次からがその説明です。