今から100年以上前の1912年、イギリス・サウサンプトン発アメリカ合衆国・ニューヨーク行きの航海中、氷山に衝突して沈没した豪華客船タイタニック号。
この事故による死者は1,514人、生還者は710人と記録されています。
そんなタイタニック号に乗船していた唯一の日本人・細野正文氏の数奇な運命とは・・・??
目次
タイタニック号唯一の日本人乗客
生還後も不運な出来事が・・
タイタニック号唯一の日本人乗客
1910年、鉄道官僚の細野正文氏は研究員としてロシアに派遣されていました。
その帰路にイギリスを訪れた細野氏は、当時世界最大であった豪華客船タイタニック号に乗船。
日本人唯一の乗客だった細野氏は二等船室に滞在していました。
そして航海が始まってから数日後、悪夢の一夜を迎えるのです・・・。
タイタニック号が氷山に衝突した時、眠っていた細野氏は乗務員がドアをノックする音で目覚めました。
しかし、救命胴衣を着用してボート乗り場に向かおうとしますが、他の乗務員から三等船室の乗客と勘違いされて甲板に向かうのを阻止されます。
どうにか甲板に辿りつくと、女性と子供たちが救命ボートに乗せられていました。
それを目にした細野氏は、自分は船とともに沈没する運命なのだと悟ります。
すると、「あと2人くらい乗れる」という誰かの叫び声が聞こえてきました。
意を決して救命ボートの空いたスペースに飛び乗った細野氏は、なんと生還者の一人となったのです。
生還後も不運な出来事が・・
20世紀最大の水難事故から無事生還した細野氏。
ところが、細野氏は“他人を押しのけて救命ボートに乗ったアジア人”というあらぬ噂から卑怯者のレッテルが貼られます。
さらに、日本に帰国後も“「女性と子供第一」の原則に違反した”と批判され、メディアから叩かれます。
こうして細野氏は村八分状態となりました・・・。
しかし1997年、細野氏が綴った手記が家族によって出版されます。
その内容によって噂は誤解だったことが判明します。細野氏は他人を押しのけてボートに乗ったという事はなく、むしろ救命ボート漕いで同乗者を救出するのに貢献したことが判明し、晴れて名誉と信頼が回復しました。
どうやら救助の際にモラルを欠いた行動をとったアジア人の男性がいたらしく、その方と細野さんが勘違いされてしまったのも原因だったようです。
20世紀最大の水難事故タイタニック号に唯一の日本人として乗船し、生還した細野氏。
その運命は実に数奇なものだったようです。