里見家(里見一族)は、曲亭馬琴の長編小説『南総里見八犬伝』のモチーフになっていることでも知られる大名であり、戦国時代には安房国を掌握、房総半島に勢力を拡大し、当地で十代に渡り繁栄を築いた。
1613年、徳川家の重臣・大久保忠隣の与力であった大久保長安の死後に、長安による不正蓄財や幕府転覆疑惑がかけられたことで一族が死罪になるという大久保長安事件が発生した。この粛清事件によって、大久保忠隣も失脚し改易(領地没収)となったが、当時の館山藩主であった里見忠義が大久保忠隣の孫娘と結婚した姻戚関係にあったことから共犯とのとばっちりを受け、翌1614年、里見家も改易となってしまい館山城も廃城となるに至った。
この時、里見家は領内の財宝の多くを各地に分散して埋蔵したと言われており、「里見の埋蔵金」と呼ばれ民話としても残っている有名な話となっている。各地に埋蔵したうちの一ヶ所と目されているのは、里見家の祈願寺であった小松寺であったと言われている。
小松寺は、文武天皇の御代(683~707)に修験道の開祖である役小角によって建てられた庵が元となって建てられた寺院であり、平安時代前期に火事で全焼して一度再建され、安政元年(1854)に再度火災で全焼し、現在は房総市千倉町に檀特山小松寺という真言宗の寺院として残っている。
この寺院には、埋蔵金を隠した場所を示していると考えられている奇妙な歌が残されており、今も伝えられているという。
旭さす夕日輝く双樹の下に
漆千盃 朱千盃 銭十億万貫埋めておく
非常の際は この財宝用いるべし
武将の埋蔵金伝説において、埋蔵金は軍資金として隠されていたという話はよくあるパターンだ。「非常の際」というのがこれにあたるのかもしれないが、それにしても「銭十億万貫」とは凄まじい桁である。また、南房総市上滝田の沢山不動堂には、
里見公守り給ひし不動尊
残す宝はここに勝つ勝つ
という歌が残っており、この地にも里見の埋蔵金伝説が残されているという。とはいえ、そもそもそんな重大な秘密を大っぴらに公開しているというのは不自然ではないかという意見もある。
また、里見氏が改易された際にとある石工によって金銀を納める石櫃が作られ、それが安房鴨川近くの愛宕山山麓もしくは嶺岡山のいずれかに埋められたとの噂もあるという。この里見の埋蔵金を守る一族が存在していたとの話もあり、その一族は世間との交流を絶って山に住み、一家の娘が黒い松脂(まつやに)で覆われた金の延べ棒を持っていたという。松脂で覆っていたということから、埋められていたのではなくむき出しのまま隠していたのではないかとの推測もある。この他、里見義実の子、成義が築城したとされる宮本城(現城址)にあるという説もある。
里見の埋蔵金はかなり多くの候補地があげられているが、十億万貫という財宝は果たして本当に実在するのだろうか。
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提供元・TOCANA
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